■本、著者の情報
<作者>ブッダの言葉, 今枝由朗 訳
<原題>Sutta Nipāta
<発行日>2022年3月 (株) 光文社
■本の構成
スッタニパータとは、仏教のパーリ仏典におさめられている経書のひとつです。紀元前3~2世紀ごろにその原型が成立。スッタは「経」、ニパータは「集成」を意味します。
第1:ヘビの脱皮の章
1. ヘビの脱皮 2. 牛飼いダニヤ
3. 犀の角 4. 耕作者バーラドヴァージャ
5. 鍛冶工チェンダ 6. 破滅
7. 賤しい人 8. 慈しみ
9. 雪山の夜叉ヘーマヴァタ 10. 夜叉アーラヴァカ
11. 勝利 12. 聖者
第2:小さな章
1. 三宝 2. なまぐさ
3. 友情 4. こよなき幸せ
5. 夜叉スーチローマ 6. 理にかなった行い
7. バラモンにふさわしいこと 8. 船
9. 戒め 10. 奮起
11. 実子ラーフラ 12. 弟子ヴァンギーサ
13. 正しい遊行 14. 信者ダンミカ
第3:大きな章
1. 出家 2. 悪魔ナムチとの戦い
3. みごとに説かれたこと 4. バラモン・スンダリカ・バーラドヴァージャ
5. 青年マーガ 6. 遍歴行者サビヤ
7. 結髪行者セーラ 8. 矢
9. 青年ヴァーセッタ 10. 誹謗者コーカーリヤ
11. アシタ仙の甥ナーラガ 12. 二種の考察
第4:八詩頌の章
1. 欲望 2. 洞窟についての八詩頌
3. 悪意についての八詩頌 4. 清浄についての八詩頌
5. 最上についての八詩頌 6. 老い
7. メッテーヤ族のティッサ 8. 遍歴論者パスーラ
9. バラモン・マーガンディヤ 10. 生きているあいだに
11. 闘争 12. 論争-小編
13. 論争-長編 14. バラモン・トゥヴァタカ
15. 暴力 16. 長老サーリプッタ
第5:彼岸に到る道の章
1. 序
2~17までバラモンの門弟の質問
アジタ, メッテーヤ族のティッサ, プンナカ, メッタグー, ドータカ, ウパシーヴァ
ナンダ, ヘーマカ, トーディヤ, カッパ, ジャトゥカンニン, バドラーヴダ, ウダヤ
ポーサーラ, モーガラージャ, ピンギヤ
18.バラモンの門弟16人の結び
■三宝
三宝とは、仏=ブッダ, 法=ダンマ (ブッダの教え) , 僧=サンガ (出家修行者の集団)のこと。これらは最も優れた宝とされ、「仏法僧の三宝」といわれる。
・地上のものであれ、空中のものであれ、ここに集うもろもろの生き物に幸あれ。私が説くことをよく聴け。生きとし生けるものよ、耳を貸せ。日夜供物を捧げる人を慈しみ、守護せよ。
・この世のそしてあの世のいかなる富も、天上界のいかなる宝も、如来に並ぶものはない。この優れた宝はブッダ(仏)の内にある。この真実の言葉により幸あれ。
・シャーキャ族出身の聖者は瞑想により、煩悩の消滅、欲望からの離脱、最も優れた不死を達成された。その教えに並ぶものはない。この優れた宝はダンマ(法)の内にある。この理により幸あれ。
・もっとも優れた目覚めた人によって清らかであると賞賛される瞑想は「直結瞑想」と呼ばれる。この瞑想に並ぶものはない。この優れた宝はダンマの内にある。この理により、幸あれ。
・賢者が褒め称える八種の聖者は、四種の各々が二組で八種となる。彼らは彼岸に到達した人の弟子で施しを受けるに値する。彼らに施しをすれば、福徳が得られる。この優れた宝はサンガ(僧)のうちにある。この理により、幸あれ。
・ゴータマ・ブッダの教えに従い、堅固な意思を持って務め、欲望を離れた者は目標を達成し、不死に到り、平安の境地を享受する。この優れた宝はサンガの内にある。この理により、幸あれ。
■四諦
四諦とは、四つの真理のこと。仏教の最も中心的な教義。物事への執着や愛着があると、それが失われる際に苦しみが生じる。
ブッダは、そもそも物事への執着や愛着を持たなければ、苦しみから解放され平安の境地に達する事ができるという。
またインドでは古来より、生あるものはすべて生と死を無限に繰り返すと考えられているが、物事への執着を捨てて悟りを開くと輪廻転生することはないとブッダは説く。
・出家修行者たちよ、他人から「あなた方が、善なる、神聖にして、解脱を得させ、目覚めに到る道に関する教えを聴くのは何のためか」と問われたならば
「真理をあるがままに知る二種の考察のためである」と答えねばならない。何を二種というかと言うと、「これが苦しみであり、これが苦しみの原因である」というのが一つの考察であり、
「これが苦しみの消滅であり、これが苦しみの消滅に至る道」であるというのがもう一つの考察である
・苦しみを知り(苦諦)、苦しみの原因を知り(集諦)、苦しみの完全な消滅を知り(滅諦)、苦しみの完全な消滅に到る道を知る者(道諦)、彼は心の解放を知り、叡智による解放を知る。彼は苦しみの消滅を知り、再び生と老いを繰り返さない。
■十二支縁起, 十二因縁
十二支縁起とは、苦悩が生起する12の要因のこと。
・出家修行者たちよ、もし他人から「この二種類の考察(上記四諦のこと)により他の真理をあるがままに知ることができるか」と問われたならば、「できる」と答えねばならない。
「苦しみが生起するのは、所有物に対する執着によってである」というのが一つの考察であり、「所有がなければ、苦しみが生起することはない」というのがもう一つの考察である。
(移行同様の言い回しで続くが、まとめると以下のとおり)
・苦しみの生起は無明, 意志, 認識作用, 接触, 感覚作用, 渇望, 執着, 衝動, 食料, 動揺, 隷属, 精神的活動, 虚妄, 苦楽によってである
後になって洗練化され、十二支縁起は以下となり。無明から老死に到るまでの因果関係が体系化される。
・無明:無知。真理を知らないと迷いの中にいることになる
・行:意識、業(カルマ)の形成。物事がそのようになる力
・識:識別作用。好き嫌い、選別の元
・名色:肉体と精神の結びつき
・六処:六つの感覚器官 (眼、耳、鼻、舌、身体、意識)
・触:感覚器官と対象の接触
・受:感受作用。快、不快、中立の感覚
・愛:渇愛。執着
・取:執着の強化。所有欲
・有: 存在、生存への執着
・生:生まれること
・老死:老いと死
■八正道
八正道とは、苦しみの完全な消滅に到るための道のこと。本書ではその実践の重要性は説かれているが、八正道としての詳細説明はなく、後に体系化される。
・正見:正しい人生観を持つこと
・正思:正しい考え方をすること
・正語:正しく語ること
・正業:行いを正しくすること
・正命:衣食住の生活を正しくすること
・正精進:正しい努力をすること
・正念:正しい心を持つこと
・正定:正しい精神統一をすること
■中道
苦行、快楽といった両極端を避けることを中道という。八正道の一部と考える事ができる。
速すぎることもなく、遅すぎることもなく、二元論的見方を超越した出家修行者は、この世のものもあの世のものもすべて捨てさる。ヘビが脱皮して古い皮を捨てさるように
■幸せ
これがこよなき幸せである。としている。
・愚か者と親しくせず、もろもろの賢者に親しみ、尊敬に値する人々を尊敬すること。
・住むのに適した場所に住み、功徳を積み、正しく自制していること。
・広い学識と技術を身に付け、規律正しく、言葉使いが美しいこと。
・父母に尽くし、妻子を養い、仕事において実直なこと。
・分かち与え、理に従い、親族を護り、咎められる行いをしないこと。
・悪を止め、悪を離れ、飲酒を慎み、徳行に励むこと。
・尊敬と謙遜、満足と感謝、しかるべき時に教えを聴聞すること
・耐え忍び、言葉使い美しく、修養に励む人に会い、しかるべき時に教えを論じ合うこと
・修養し、行い清らかで、崇高な真理を見、平安の境地を体得すること
・世俗のものごとによって心が動揺することなく、憂いなく、汚れを離れて、安穏であること
・このように行えば、いかなることにおいても敗れることなく、いかなる境遇においても安らかである
■慈しみ
・よき行いに長け、静謐の境地に達した人は、実直で、正しく、ことばやさしく、柔和にして、思い上がってはいけない
・足りを知り多くを望まず、些細な事に煩わされず質素な生活をし、感覚器官を静め聡明にして謙虚で 他人の家で貪ってはならない
・他の識者から咎められる様な下劣な行いをしてはならない。全ての生きとし生けるものが、幸せで安らかで、楽しくありますように
・いかなる生きものも、弱いものも、強いものも、長いものも、短いものも、大きなものも、小さなものも、眼にみえるものも、見えないものも、遠くのものも、近くのものも、すでに生まれたものも、これから生まれるものも、
生きとし生けるものがことごとく幸せでありますように
・誰であれ、人を欺いてはならず、軽んじてはならず、怒りや憎しみから苦しめてはならない
・あたかも母親が、命がけで一人子を護るように、生きとし生けるものに、限りない慈しみの心を抱け
・全世界に対し、限りない慈しみの心を抱き、誰に対しても恨むことなく、敵意を持ってはならない
・行住坐臥、命のあらん限り、慈しみの心を堅持せよ。これが世界における崇高な態度である
・誤った見解に囚われず、規律を保ち、ものごとを正しく見て、欲望の対象への貪りを抑制した人は、再び母胎に宿ることがない
■彼岸と此岸, 涅槃
仏教では苦しみの世界を此岸と呼び、煩悩が消滅した世界を彼岸と呼ぶ。「激流を渡る」とは、煩悩を断ち切って、此岸から彼岸に渡ることを指す。また涅槃(ニルヴァーナ)とは平安の境地のことを指しており、彼岸と似ているが、時代が下って死後の世界という意味も加わった。
この世に再び生まれる要因となる煩悩を断ち切った出家修行者は、この世のものもあの世ものも全て捨て去る。
■なまぐさ
日本で「なまぐさ坊主」というと、魚肉・獣肉など生臭いものを食べる坊主の意から、戒律を守らない品行の悪い僧のことですが、ブッダは肉食を禁止しておりませんでした。
仏教が中国に入ってから肉食が禁止された様です。本書ではなまぐさとは以下とされます。
・生きものを捕え、殺し、切断し、縛り、盗み、嘘をつき、詐欺を働き、騙し、役に立たない学習をし、他人の妻と交わること。それこそがなまぐさであり、肉を食べることではない
・欲望を制することなく、美味しいものを貪り、不浄にまみれ、虚無論を抱き、誤っており、頑ななこと。それこそがなまぐさであり、肉を食べることではない
■その他印象に残ったこと
・人は生まれによって尊い人になるのではなく、行いによって尊い人になる。
・性欲を消し去るために、相手が糞尿を垂れるところを想像することで、外見の美しさに興ざめさせる
・自分の考えに執着しなければ、相手との論争が生じることもない。
・ブッダは人を救う救済者ではなく、自らの努力で目的を達成する事が原則である。
・ゴータマ・ブッダ以前にも六人のブッダが出現しており、ゴータマも含め既に出現したブッダを総称し「過去七仏」と呼ぶ。
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