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■本、著者の情報
<作者>ヴィリ・レードン ヴィルタ, 濱浦 奈緒子 訳
<原題> Cloud Empires - How Digital Platforms Are Overtaking the State and How We Can Regain Control
<発行日>2024年8月
<出版社>㈱みすず書房
■目次
第1章 序論
第1部 経済的制度
第2章 互恵主義―サイバースペースの黄金律
第3章 評判から規制へ―巨人の誕生
第4章 プライバシーのジレンマ―仮面舞踏会で秩序を維持する
第5章 距離の死、境界の復活―サイバースペースの労働市場
第6章 中央計画自由市場―ソ連2.0のプログラミング?
第2部 政治的制度
第7章 ネットワーク効果―デジタル革命家からエブリシング皇帝へ
第8章 クリプトクラシー―政治を技術に置き換える探究
第9章 集合行為 I―インターネット労働者は団結する?
第10章 集合行為 II―デジタル中流階級の興隆
第3部 社会的制度
第11章 デジタルセーフティーネット―プラットフォーム経済の社会保障と教育
第12章 結論
■あらすじ
かつてイーベイは国家による統治を忌避し、自由で自己調整的な市場の実現を目指しインターネット上に新たな経済圏を築こうとした。
しかしその規模が拡大するにつれて不正行為やトラブルが頻発し、最終的には独自のルールや審査制度、取引の監視機構などを導入せざるを得なくなった。
これは結果として国家が果たしていた統治機能を企業が肩代わりする形であり、理想とした「自由な市場」は、自己矛盾的に「統治の再発明」へと変質していった。
この現象はイーベイに限らず、Amazon/Apple/Facebook/Googleなど、現代の巨大テック企業にも共通する。
彼らは単にサービスを提供する企業ではなく、情報、労働、言論、貨幣の流通にまで関与し、プラットフォーム内での個人の行動を細かく管理・制御する力を持つようになっている。
もはやそれは国家がかつて行ってきたことと本質的に変わらない。むしろ、国家を超えて国境をまたぎ、誰にも選ばれていない企業の経営者が一方的にルールを定めるという点で「クラウド帝国」としての権力は国家よりも強大かつ不透明である。
国家が本来、公共の利益を代表してルールを制定するのに対し、テック企業の最終的な目的は株主利益の最大化にある。
この構造的違いによって、企業によるルール変更一つで労働者が突然職を失ったり、市民が表現の場を奪われたりする事態が日常的に起こっている。
言い方を変えれば、これらの企業は国家のように統治する一方で、国家に求められる説明責任や民主的正当性を持たない「質の悪い国家」になっているとも言える。
このような中央集権的な構造はかつてのソ連の統治機構とも類似している。
しかしソ連が失敗したのに対し、現代のクラウド帝国が一定の成功を収めているのは、CPUの演算性能、通信インフラ、アルゴリズム技術など、デジタル技術の進化に支えられているからに他ならない。
しかしこの「ソ連2.0」とも呼べるような新たな支配構造が、今後も人々の自由と幸福を保障し続けるとは限らない。
むしろ、営利企業による統治が加速度的に拡大する現代においてこそ、市民を守るための制度的な枠組みの再構築が急務となっている。
私たちは、デジタル領域における新たな「主権」を確立し、それを支える民主的な制度を必要としている。
歴史を振り返れば独裁的な支配に対抗する力となったのは、資源の確保、同盟の形成、そして市民の組織化であった。
18世紀のブルジョワ革命においては、中産階級が連帯し既得権益を持つ貴族階級に対抗する力を築き上げた。今日の状況もこれと重なる。
巨大プラットフォームに対抗するには、市民、労働者、政策立案者、研究者といった多様な主体が協力し合い、新たな連帯と政治的圧力のネットワークを築くことが求められる。
とはいえ、クラウド帝国に対して市民が直接的な打撃を与えることは現実的には困難である。
なぜならこれらの企業は国家を超えてグローバルに展開しており、私たちの日常生活に深く組み込まれてしまっているからだ。
だからこそ、今のところ私たちが取り得る最も現実的な戦略は、国家という制度的装置を通じて、プラットフォームに対する法的規制と公共的コントロールを強化していくことである。
ヴィリ・レッドンヴィルタが指摘するように、現代の主権とは領土に対する支配だけでなく、デジタル空間における統治権のあり方を問うものへと変化している。
国家と市民社会が連携しプラットフォーム権力を再編成することで、私たちはようやくクラウド帝国の中に「市民」を取り戻すことができるのだ。
■現実社会の3000年がデジタル社会の30年の歴史に
いかなる点が現実社会の3000年がデジタル社会の30年に凝集されたのか比較する。
1. 法とルールの制定・施行
→ プラットフォームの利用規約とアルゴリズムによるユーザーの行動規制
2. 通貨と経済制度
→ 独自経済圏 (App Store経済、ゲーム内通貨など)
3. 労働統治
→ ギグエコノミー、アルゴリズムによる労働管理
4. 裁判・紛争解決
→ プラットフォームによる一方的なアカウント処分
5. 検閲・言論統制
→ コンテンツモデレーションとランキング操作
6. 国境と領土
→ インフラの支配と越境的影響力
■感想
以上を踏まえた私の解釈は、国家という枠組みを超えて完全に自由な社会を築く手段は現時点では見出されておらず、むしろ国家は不可欠なインフラとして機能しているということである。
リバタリアンはさまざまな試みを通じて自由な社会の実現を目指してきたが、その多くは現実の前に挫折している。
さらに言えば、すでに「ソ連2.0」とも呼びうる国家が存在しており、それが中華人民共和国である。中国はデジタル技術を駆使して国民を高度に統制している。
この体制はリバタリアンにとっては理想とは程遠いかもしれないが、その社会モデルが成功とみなされるのかどうか、今後の行く末に注目したい。
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