|
■本、著者の情報
<作者>広瀬正
<発行日>1970年10月
<出版社>河出書房新社
■登場人物
浜田俊夫
主人公。昭和7年にタイムスリップした後の世界では「中河原伝蔵」と名乗り、小田切美子との結婚後に及川姓を名乗る。
伊沢啓子
昭和20年5月25日の空襲の際に行方不明となったがタイムマシンで未来に送られていた。その後再びタイムマシンで昭和二年に行き、小田切美子と名乗り女優となる。
伊沢先生
啓子の養父。タイムマシンで未来から来たと推測されるが、どのような理由でこの時代に未来からやってきたかは不明。その未来では12進数を扱っている。
レイ子
昭和7年当時の銀座のバー「モロッコ」の女給。昼間は百貨店の臨時勤めもしているが、その百貨店が火事になり命を失う。中河原伝蔵に思いを寄せていた。
■年表

<タイムパラドックス>
『マイナス・ゼロ』におけるタイムパラドックスの解釈は、過去を自由に改変できるタイプではなく、「歴史には自己収斂作用があり、大きな流れは変えられない」という立場に近い。
登場人物たちは時間を越えて行動するが、その結果は歴史を根本から書き換えるのではなく、矛盾が生じないよう歴史そのものに取り込まれていく。
一方で、登場人物の記憶にない細部については一定の修正が可能であり、その意味では完全な運命固定型とも異なる。
また本作は、美子の子どもが美子自身であるという閉じた時間環を形成しており、自己無矛盾型であると同時にループ型の性格も持つ。
その結果「その情報や存在の起源はどこにあるのか」というブートストラップ・パラドックスが生じている。
<白木屋火災>
昭和7年12月16日に発生した、レイ子が命を落とした百貨店火災は、実際に起きた出来事をモデルにしている。この火災では13名の女性が死亡したが、その全員が転落死だったとされる。
転落の理由については、当時の女性は着物姿で下着を着用していないことが一般的であったため、避難用の命綱を伝って降下する際、風で着物の裾がめくれ上がることを恥じて片手で押さえようとし、
その結果バランスを崩して転落した、という逸話が広く知られている。
しかし現在ではこの話は都市伝説として語られることも多く、実際にはすべての女性がそのような理由で転落したわけではないと考えられている。
また当時の報道や証言にも異なる見解があり、真相については議論の余地がある。
■感想
昭和初期から戦後にかけての風俗や街並み、人々の暮らしが非常に緻密に描かれており、当時の空気感を味わえる作品である。
しかし、その描写はやや詳細に過ぎる印象も受けた。時代考証の丁寧さは本作の魅力ではあるものの、物語の進行を考えるともう少し簡潔でもよかったように感じる。
本作はタイムパラドックスに関して自己無矛盾型とループ型を組み合わせた構造を採用しているが、個人的には「因果の起点が存在しない」ループ型の設定にはあまり魅力を感じなかった。
また伊沢先生がどこから来た人物なのかが最後まで明確に語られず、謎として残された点には消化不良感がある。
人物描写についても気になる部分があった。昭和38年からタイムスリップしてきた17歳の啓子が、自らの置かれた状況を比較的短期間で受け入れ、32歳の俊夫と恋愛関係になり、さらに子どもを身ごもる展開には違和感を覚えた。
物語の成立上必要な設定ではあるものの、心理描写がやや不足しているように思える。
さらに、レイ子の死についても疑問が残った。物語上の転機として機能しているものの、彼女を死なせなければならない必然性が十分に感じられず、その後の俊夫の反応も比較的淡白に見えた。
そのため、読者としては喪失の重みを十分に共有しにくかった。
とはいえ、戦前・戦中・戦後を時間旅行という題材で結び付け、人々の人生と運命の交錯を描いた発想は独創的であり、日本SF史において特別な位置を占める作品ではある。
|