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■本、著者の情報
<作者>福沢諭吉, 伊藤正雄 訳
<発行日>2013年10月, 原版は明治5年~9年(1872~1876)
<出版社>岩波書店
■目次
初編(明治五年二月)
天与の人権/学問の必要/和漢学の迂遠/実学の効用/自由の意義/国家独立の権利/排外思想の愚/四民平等の新政/封建時代の悪風
/言論の自由/平民の覚悟/無知文盲の罪悪/政府は国民/知愚の反映/国民の責任
二編(明治六年十一月)
学問の活用/飯を食う字引/本書の方針
・人は同等なること(人権平等論)
基本的人権の平等/封建時代の武士と平民/封建時代の政府と人民/封建政治の専制/国民順法の義務/国法無視の災い
三編(明治六年十二月)
・国は同等なること(国権平等論)
国権の平等/日本人の覚悟
・一身独立して一国独立すること(個人の独立即国家の独立)
愛国心と独立心/儒教流政治の危険/祖国防衛の気概/東西国民精神の相違/日本人の卑屈/国辱的な外国貿易/憎むべき売国行為/国民総独立の必要
四編(明治七年一月)
・学者の職分を論ず(民間学者の責任)
日本独立の可能性は未知数/官民権力平均の必要/依然たる官民の無自覚/人民無気力の由来/官民疎隔の伝統/
洋学者の事大主養/官尊民車万能の世/率先垂範のわが使命/学者独立の急務
五編(明治七年一月)
・明治七年一月一日の詞(日本学徒の覚悟)
薄弱な日本の独立/文明の精神が大切/民心萎縮の傾向/西洋文明の由来/わが学者の無自覚/慶応義塾の使命
六編(明治七年二月)
・国法の貴きを論ず(順法精神の必要)
政府は国民の代理/私刑は厳禁/敵討ちは蛮行/赤穂不義士論/切り捨て御免の不法/暗殺の非/国法の貴重さ/慶応義塾の実例
七編(明治七年三月)
・国民の職分を論ず(義に残ぜよ)
国民は一人二役/被治者としての国民/国の主人としての国民/
政府の責任/国民納税の義務/暴政への対処法/無抵抗主義の弊 /内乱の不合理/マルチルドムの功徳/楠公権助論
八編(明治七年四月)
・わが心をもつて他人の身を制すべからず(男尊女卑と家父長専制との弊)
身心五種の働き/身心自由の権利/魂の入れかわり/男尊女卑のもうせい悪習/『女大学』の妄説/一夫多妻の蛮風/男性の強弁/二十四孝の矛盾/親の責任
九編(明治七年五月)
・学問の旨を二様に記して、中津の旧友に贈る文(少年よ、大志を抱け)
易しい生計の安定/マイ・ホーム主義は不可/進歩なき人生/社会人たる義務/社会の恩恵/古人の恩恵/洋学先駆者の遺功/
現代学徒の覚悟/窮屈な過去の日本/活躍自在の好機
十編(明治七年六月)
・前編の続き、中津の旧友に贈る(外尊内卑を脱却せよ)
洋学生安易の風潮/割のいい洋学商売/洋学生の任務/外人に頼るは国辱/洋学者に必要な独立心/日本を背負う気力/地方青年の抱負
十一編(明治七年七月)
・名分をもつて偽君子を生ずるの論(封建道徳は虚礼と偽善とを生む)
名分の由来/親子自然の関係/名分の限界/君臣名分の夢想/君臣は赤の他人/ワンマン商法の罰/封建道徳の欺瞞/表裏の多い武士社会/
少ない義士の数/名分と職分との区別
十二編(明治七年十二月)
・演説の法を勧むるの説(近代国民の要件)
日本にない演説の習慣/演説の効能/学問の要は活用にあり/学間の方法は多様/弁論は学者の任務
・人の品行は高尚ならざるべからざるの論(自他比較の意義)
必要な人格と見識/目標を高く持て/学校評価の標準/自国独善の弊/インド・トルコの実例
十三編(明治七年十二月)
・怨望の人間に害あるを論ず(陰険の不正は欲求不満から起こる)
徳不徳の相対性/怨望は絶対的不徹/怨望は衆悪の母/怨望は自由の束縛に基づく/聖人の愚痴は因果応報/道徳的価値の変化/
陰険な御殿女中の社会/英米自由主義の長所/東洋人の閉鎖主義 /対話の効果
十四編(明治八年三月)
・心事の棚卸し(不断の反省を怠るなかれ)
失策の多い人生/時間を測らぬための失敗/日常生活の総点検/矛盾の多い人間模様
・世話の字の義(過保護と干渉との弊)
保護と命令との両義/保護のみの世話の弊/命令のみの世話の弊 /不合理な専制国の政治法律/ギブ・アンド・テークの原理/感悲の心も必要
十五編(明治九年七月)
・事物を疑って取捨を断ずること(東西の文明は一長一短)
盲信多き日本社会/西洋文明は懐疑の産物/真理探究の苦難/信西洋も 万全な ら ず疑取捨の必要/西洋を軽信すべからず/
西洋も万全ならず/西洋心酔者のこじつけ/東西宗教の優劣/信疑取捨は学徒の責任
十六編(明治九年八月)
・手近く独立を守ること(心の戸締まりに御用心)
大切な精神の独立/物質の奴隷となるなかれ/隣の花を戻びなかれ/浪費生活の末路
・心事と働きと相当すべきの論(改自らを知れ)
言行一致の困難/行動活発で見識なき人/見識高くて実行力なき人/孤独に陥るなかれ/まずみずから試みるべし
十七編(明治九年十一月)
・人望論(信用の必要と社交の心得)
信用第一の世の中/む医者の玄関/自己の正味を知られる必要! 腐儀の引っ込み思案/弁舌を学ぶこと/顔つきを明るくすること /虚飾は交際の本色にあらず/交際を広く求めること
■概要
明治初期に福沢諭吉によって著された啓蒙書で、「学問によって個人が自立し、その積み重ねが国家の発展につながる」という思想を説いた作品です。
福沢は有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を掲げ、人間は生まれながらにして平等であると述べました。
しかし現実には貧富や地位の差が存在し、その多くは学問や努力の違いによって生じると考えました。ここでいう学問とは、単なる知識の暗記ではなく社会で役立つ実践的な知識や判断力を身につけることを意味しています。
なお「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉は、アメリカ独立宣言の一節「All men are created equal」を福沢流にアレンジしたものと言われています。
本書の中心には「独立自尊」という考え方があります。これは他人や政府に依存せず、自ら考え、自ら判断し、自らの責任で行動する姿勢を指します。福沢は、こうした自立した個人が増えることで社会が成熟し、国全体も強くなると考えました。
また、国民には権利だけでなく義務もあり、政治や社会問題に関心を持つべきだと説いています。したがって『学問のすゝめ』は単なる勉強のすすめではなく、近代国家を支える市民のあり方を論じた書物でもあります。
今日でも、自ら学び続けることの重要性や主体的に生きる姿勢を説く古典として高く評価されています。
改めて整理すると以下に要約されます。
一、門閥主義・階級主義から脱却して、自由平等主義に徹すること。
二、他人に依存せず、自己の人格を信じて、独立自尊の精神を堅持すること。
三、封建時代の和漢学を持して、西洋日新の科学を重んじ、生活に即した実学を旨とすること。
四、官尊民卑の風を打破して、民業を盛んにし、民間の学問を振興すること。
五、青少年は一身の小成に安んぜず、志を大きくして国家社会に貢献すること。
六、過去の権威に盲従せず、創造批判の精神を培うこと。
七、暴力の行使を慎み、法秩序を厳守すること。
八、男尊女卑の弊を改め、女性の解放と家庭の浄化とにつとめること。
九、社交を盛んにして、対話・弁論の風を養うこと。
■批判点
当時の批判点
学問のすゝめが出版された明治初期、日本社会には江戸時代の価値観が色濃く残っていました。
そのため本書は、保守的な立場からさまざまな批判を受けました。最も大きな批判は、福沢が「人は生まれながらに平等である」と説き、武士・農民・職人・商人という身分秩序の正当性を否定したことです。
旧士族や儒学者の中には、こうした考えが社会の安定を損ない、人々に過度な自由意識を与えると懸念する者がいました。
また、福沢が法律・経済・科学などの実学を重視し、漢学や朱子学中心の教育を批判したことに対して、「人格形成や道徳教育を軽視している」「利益ばかりを追求する功利主義だ」という反発もありました。
さらに、欧米文明を積極的に評価し、その制度や思想を学ぶべきだと主張したため、「日本の伝統や精神文化を軽んじている」「西洋かぶれである」という批判も受けました。
つまり当時の批判は、福沢の思想が近代化を急ぎすぎ、日本の伝統的価値観や社会秩序を揺るがすのではないかという危機感に基づくものでした。
楠公権助論
「日本古来のいわゆる忠臣義士の死は、真に社会の幸福利益のために身をなげうった崇高な死ではなく、
単に君臣主従の身分関係の犠牲になった犬死ににすぎぬ」と極論し、これを機助(下男)の首くくりにたとえて嘲笑した。
そのため、いたく世間の反感を買い、総公権助論の名で福沢攻撃の火の手が広まった。
そこでさすがの福沢も、新聞に長い釈明文を発表して非難を緩和するのやむなきに至った。この編は福沢の筆が調子に乗り過ぎた勇み足の見本としても有名である。
現代の批判点
現代における学問のすゝめへの批判は、主として社会的平等や多様性の観点からなされています。
福沢は人間の地位や豊かさの差は学問や努力の差によって生じると考え、自立した個人の育成を重視しました。
しかし現代では人生の結果には本人の努力だけでなく、家庭環境、教育機会、所得格差、地域差、障害の有無など、多くの社会的要因が影響することが明らかになっています。
そのため本書の思想は「自己責任論」を強め、社会構造による不平等を見えにくくする危険があると批判されます。
また個人の独立を重視するあまり、福祉や相互扶助といった共同体の役割を十分に評価していないという指摘もあります。
さらに欧米文明を進歩の基準として高く評価した姿勢は、今日の価値観から見ると西洋中心主義的であり、アジアや日本固有の文化を相対的に低く見ているように映ることがあります。
例えば、漢学や古典をを勉強するのは無駄である、という主旨の発言をしています。
加えて教育を受けた人々が社会を導くべきだという啓蒙的な発想には、エリート主義的な側面があるとの批判もあります。
現代では個人の努力を重視する点は評価されつつも、その前提となる社会条件への配慮が不足していると考えられているのです。
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