孔子について, 年表, 活動地域, 関係人物



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公開日:2024/9/12    

関連知識
 ・春秋戦国時代
 ・論語


■孔子

BC552-479。春秋戦国時代の思想家で儒教の創始者。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。 教えの中心になるのは「仁」という考えで、仁とはまごころ(忠)と思いやりと礼であり、親子・兄弟を始めとする社会全般の人間関係で仁を実践することができる人のことを君子と呼んだ。そして仁による統治をおこなう理想的な王を聖人と呼んだ。


■孔子の人物像

論語には、孔子の性格が伺える描写があり、孔子は自分のことを以下の様に表現している。

興奮すると食事も忘れるが、楽しむときは憂いを忘れ、老いが迫るのも気が付かない (述而7-18)

先生は穏やかだけども厳しい。威厳があるけれども、たけだけしくはない。きちんとして礼儀正しいけれども、楽々として堅苦しくはない (述而7-37)

私は十五歳になった時学問をしようと決心し、三十歳になった時学問的に自立した。四十歳になると、自信ができて迷わなくなり、五十歳になると点が自分に与えた使命を悟った。 六十歳になると自分と異なる意見を聞いても反発しなくなり、七十歳になると欲望のまにまに行動しても、人としての規範を外れる事は無くなった。(為政2-14)


■孔門十哲

孔門十哲とは、孔子の弟子の中でも最も優れた10人の弟子を指す。ただし、曾子や子張などが入っていないため、あくまで陳や蔡に孔子と一緒についていった者たちから選んだという説がある。

<徳行>
・顔回 (がんかい)/顔淵(がんえん)
 孔子最愛の弟子。子貢とは別の秀才型。顔回が死去した時、孔子は大きく絶望した

・閔子騫 (びんしけん)
 有徳の人。冉有とは異なり、李孫氏の登用を拒絶した

・冉伯牛 (ぜんはくぎゅう)
 病に冒され、孔子が見舞いに行った際、孔子が窓の外から嘆く。

・仲弓 (ちゅうきゅう)/冉雍(ぜんよう)
 貧しい家の出身で口下手ながら、誠実でおおらかな性格。孔子は高く評価しており、君主にしても良い男だとも言っている

<言語 (弁舌の才)>
・宰我 (さいが)
 姓は宰、名は予、字は子我。日中に昼寝をしていて孔子に叱られる。また、親が死んで三年も喪に服すのは長いと孔子に述べるも、孔子から非人情であるとされる。

・子貢 (しこう)
 姓は端木、名は賜(し)。魯、斉の宰相を務める。「論語」や「墨子」「韓非子」など、多くの書物に子貢が登場していることから、当時の人にとっても非常に有名で、有能な人であるとされていた。

<政事>
・冉有 (ぜんゆう)/子有(しゆう)
 李孫氏の執事を務め、政治能力がある。孔子からは多才だと評されている

・子路 (しろ)/季路(きろ)
 姓は仲、名は由(ゆう)。勇敢で、一本気な性格を持つ。その性格がたたってか、衛の内乱に巻き込まれ非業の死を迎える。孔子にとても可愛がられていた。

<文学 (学問の才)>
・子游 (しゆう)
 文学に優れている。魯の武城の長官を務め、礼楽を以て民を教化する。また孔子に孝を問う。

・子夏 (しか) /卜商(ぼくしょう)
 文学に優れている。孔子からは視野の広い大らかな君子の学者になれと言われている


■四聖

なお南宋の時代には、顔回、曾子、子思、孟子を四聖とし、顔回にかえて子張を十哲に加えた。

・曾子
 実直で生真面目な性格。真面目過ぎて「魯(ぐず)」と評される面もあったが、孔子亡き後の一門をとりまとめた。

・子思
 孔子の孫。孔鯉の息子。曾子の教えを受ける。

・孟子
 BC372-290。性善説を唱える。孔子に次いで重要な人物とされ、儒教は「孔孟の教え」とも呼ばれる。

・子張 (四聖ではない)
 孔子より、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」の「過ぎたる」の方と評される (なお子夏が「及ばざる」の方であると評される)。





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