モーセの十戒, キリストの教え



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公開日:2024/4/7 , 最終更新日:2024/12/27    

ユダヤ教の聖典である旧約聖書に書かれているモーセの教えと、キリスト教の聖典である新約聖書に書かれているキリストの教えについて説明します。

■モーセの十戒

モーセの十戒とは旧約聖書の出エジプト記20章に記されている、モーセがシナイ山にて神(ヤハウェ)より授かったとされる戒律のことです。

① あなたは私のほかに、なにものをも神としてはならない。

② あなたは自分のために、偶像を作ってはならない。

③ あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。

④ 安息日を覚えてこれを聖とせよ。

⑤ あなたの父と母を敬え。

⑥ あなたは殺してはならない。

⑦ あなたは姦淫してはならない。

⑧ あなたは盗んではならない。

⑨ あなたは隣人について偽証してはならない。

⑩ あなたは隣人の家や財産をむさぼってはならない。


■キリストの教え

キリストはユダヤ人であるため、キリストの教えは旧約聖書にあるモーセの十戒の教えを継承しつつ、愛という概念を通じて十戒を解釈し直しています。

① 自分がしてもらいたいと思うことを、人にもそのようにしなさい

② 自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい

③ 受けるよりは与える方が幸せである

④ 七回どころか、七の七十倍まで赦しなさい

⑤ あなたたちの中で罪を犯したことのない者だけが石を投げなさい

<山上の垂訓>

山上の垂訓とは、カファルナウムの近郊のビアティチュードの丘で説かれた教えのことです。マタイによる福音書第5章~第7章に記されています。

・心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

・悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

・柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。

・義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる。

・憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける。

・心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。

・平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。

・義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。

・私のために罵られ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる時、あなた方は幸いである。 喜びなさい。大いに喜びなさい。点には大きな報いがある。あなた方より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。


<キリストのたとえ話>

主なものをいくつか紹介します。

<善きサマリア人のたとえ>
強盗に襲われて瀕死の状態で道端に倒れている人を、祭司やレビ人(宗教的指導者)は助けなかったが、ユダヤ人に軽蔑されていたサマリア人がその人を助け、介抱した。 これは、隣人は国籍や宗教に関係なくすべての人であることを教える。

<放蕩息子のたとえ>
財産を持ち出して放蕩生活を送った息子が全てを失い、帰ってきたとき、父親は喜んで迎え入れました。一方、真面目に働いていた兄はそれに不満を抱いた。 これは、神の無条件の愛と赦しを示し、悔い改める者に対して神が喜んで迎え入れることを教える。

<種まきのたとえ>
種をまく人が撒いた種は、道端、石地、茨の中、良い土地に落ちましたが、良い土地に落ちた種だけが豊かな実を結ぶ。 これは、神の言葉がどのように人々の心に受け入れられ、成長するかを表している。また心の状態が信仰の成長に影響を与えることを教える。

<迷子の羊のたとえ>
100匹の羊のうち1匹が迷子になったとき、羊飼いはその1匹を探しに行く。 これは、愛と慈悲の重要性を教える。

<愚かな金持ちのたとえ>
自分の豊かな収穫を倉に蓄えることばかり考えた金持ちが、神に「今夜お前の魂は取り去られる」と言われる。 これは、自分のために富を積むよりも、神の目に豊かになることを優先すべきであると教える。

<タラントンのたとえ>
主人が召使いたちにタラントン(金貨)を預け、それを増やした者は褒められ、何もしなかった者は叱責される。 これは、神から与えられた才能や資源を活用する重要性を教えている。




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