トイ・ストーリー4を観た感想



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公開日:2022/6/26    

トイ・ストーリー4を観た感想と考察を述べます。今作は賛否が非常に分かれていますが、私は「否」側の感想を持ちました。 これまでのトイ・ストーリーに思い入れの強い人ほど批判側となるようですが、確かにそうかと思いました。

■ トイ・ストーリーの基本情報

ジョシュ・クーリーにとって、初の長編映画監督を務めることになります。「1」と「2」では監督を務め、「3」ではストーリーの原案を作成したジョン・ラセターは、「4」においても原案を作成していましたが、 2017年にセクハラ行為を行いディズニーを退社したことを受けてか、その原案も没となりました。

ジョシュ・クーリーにとっては、ジョン・ラセターの大きな壁を乗り越えるべく、これまでとは異なる作品となる様に意識して今作を作ったのではないかと思います。


■ トイ・ストーリー4の考察

「3」でアンディとウッディの物語は終わったがウッディ自身の物語は終わっていないとして、ウッディ自身の幸せとは何か、ひいては何がおもちゃにとっての幸せかをテーマに本作を作ったと言われています。 (ポリコレを非常に意識した作品であるとも言えます)

「仮に持ち主に見捨てられても、野良おもちゃとして生きていく人生があって、それも幸せな生き方である」 その様なメッセージが込められている様に思えます。 ウッディにおいては「3」まではいつもアンディの一番のおもちゃで、持ち主に対する忠誠心と、おもちゃとしての役割を一番に考えていました。

例えば「3」で、アンディが大学生になり、ウッディと他のおもちゃを離れ離れにして皆を屋根裏に置こうとした時にも「アンディが望んでいるならそうすべきだ」と言っていましたし、 「2」でも、バズに諭されてはいましたが博物館で飾られるのを拒み、子どもと遊ぶのがおもちゃの役割という考えを持っていました。 しかし、それはウッディにとって恵まれた環境だったからに他ならず、一歩間違えばロッゾやプロスペクターの様になっていたかもしれません。

今回ボニーからぞんざいな扱いを受けたことと、ボーの様な生き方を目の当たりして、ウッディは持ち主への忠誠心だけが全てではないと、これまでの考えを改めるに至り、ボニーのもとを去り仲間との別れを決意します。

<トイ・ストーリー4の主題はラブストーリー?>

上記までの説明は本作のテーマの一つとなります。しかし、本作には別のテーマが込められている様にも見えて、これが視聴者へのミスリードに繋がっているように思えます。

ボーとウッディは持ち主に見捨てられて初めて自分の生き方とは何かに気が付くという訳ですが、他のおもちゃにおいても、自ら進んで野良のおもちゃになることを選んだおもちゃはいなく、 結局は人間の影響からは逃れられていないという事が、これまでの作品を見ても分かります。

しかしそれでは真のポリコレではないと考え(たかどうかは知りませんが)、もう一歩踏み込んだ試みをしております。実はウッディの心境変化は「ボニーに必要とされていないかも」と感じたからではないと思わせるシーンがあります。それは序盤の、雨の中のボーとの別れのシーンです。 車の下でボーが「子供はおもちゃの置き場所を間違える事がある」と言ったのは、ウッディに一緒に来ることを誘っていたのを意味しており、ウッディも一瞬身を乗り出して段ボールの中に入ろうとしました。 しかしアンディが自身を探しているのを見て思いとどまりました。つまりウッディは、アンディという存在がいたにもかかわらず、自分の意志で自分の運命を決めようとしていた事を意味しており、ボニーはきっかけに過ぎなかったのです。 となるとウッディが真に望んでいたのは「愛する人と一緒に過ごすこと」と解釈することができるのです。

■ トイ・ストーリー4に対する不満点

大きな不満点としては「3」からのボニーやウッディの心境の変化が不自然という点です。 対して、心境の変化はあって然るべき事という反論があり、それは分かりますが、私が言いたいのは心変わりの仕方が不自然すぎる、合理性が無さすぎる、という点です。

またボニーの評価が下がることはあっても、上がることがない描写になっている点も不満です。 確かに一般的な女の子の性格を表しているとは思いますが、ボニーにはそうであって欲しくなかったですし、アンディの様におもちゃを大事する子を期待していた人も多かったのではないかと思います。 しかしボニーはある意味、脇役に追いやられてしまったのです。

結局のところ、結末ありきでボニーの性格を豹変させてしまった感がぬぐえないと思いました。

<ボニーのウッディに対する扱いに違和感>
「3」では、ボニーは少なくてもアンディのおもちゃの中では一番ウッディを気に入っていた筈です(アンディからウッディを譲り受けるまでの一連の描写や、ウッディとボニーの最初の出会いの様子から判断)。 にもかかわらず、今作においてはウッディだけの事をまるで気に入っている様子が無いのに不自然さを覚えます。

ボニーは女の子だから、男の子用のおもちゃであるウッディは気に入らなくなったという意見がありますが、それならバズも男の子用ですし、なぜウッディだけなのでしょうか?そこに合理的な理由が見つからないのです。 また「3」ではボニーはおもちゃを大切にする子として描かれていましたが、「4」ではそういった印象が全くありません。

<ウッディを失った事を知ったアンディを思うと胸が痛む>
大学の夏休みの時などに実家に帰ってきたアンディは、ウッディの様子を見に行く可能性があります。その時にウッディがいなくなっている事を知ったアンディはとても悲しむでしょう。 「大切にしてくれるかい?」とボニーと交わした約束を果たしてくれなかったことに対する失望もあると思います。そういう事態になることを私は望んでおりません。

小さな子供なのだから仕方ないというかもしれませんが、「3」のあの描写は、ボニーは約束を守るという事が定められた瞬間であり、それを持って「3」の結末を我々は見届けたはずなのです。 それを裏切られた気持ちはぬぐえません。我々大人でも、相手が子供だからと言って許せる気持ちになるのがなかなか難しいのと同じように、アンディも同じ気持ちになるのではないかと思います。

<ウッディの心境の変化に対する違和感>
上記で説明したように、ウッディの心境の変化に対する製作者の意図は理解できますが、納得はできません。そもそも何故アンディがいる時代に、アンディと仲間ではなくボーを選ぼうとしたのか。 もしウッディの優先順位が「愛する人と一緒にいること」だったのだとしたら、これまで言ってきた忠誠心や、友達を絶対見捨てないという信念は何だったのでしょうか。そこに大きな疑問を持ってしまいます。

<ウッディにはずっと一番のヒーローであって欲しかった>
ウッディは、仲間からも子供からも必要とされるヒーローのような存在でずっといて欲しかったという気持ちが私にはあります。 しかしボニーからの優先度が下がったことに従い、仲間を引っ張っていく存在からは少し離れた状態になってしまいます。 またウッディが、子どもたちから愛される象徴の一つである「紐を引っ張ると出る声」を失うことになったことは、完全に野良のおもちゃとして生き、子ども達との決別を意味しており、非常に辛い結果となりました。

またウッディがボニーに圧倒されるシーンが多く、ボニーの活躍が目立ちすぎたので、もう少しウッディにはヒーローらしい振る舞いをして欲しかったという思いがありました。




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