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応仁の乱の原因と流れを説明します。
■応仁の乱の時代
応仁の乱は、室町時代の1467年に始まり1477年まで続いた争いで、原因は足利家の将軍の後継者争いです。
争いは京都を中心に発生し、そこから全国に争いが広がっていき、ここから戦国時代へと移り変わります (室町時代と戦国時代は併存しており、戦国時代は室町時代と安土桃山時代をまたがっております)。
■応仁の乱の原因
応仁の乱の原因は、8代将軍の足利義政の後継者が、義政の異母兄弟の義視か、義政の子供の義尚になるかの後継者争いです。
義政は当初子供に恵まれず義視に将軍を継がせる予定でしたが、その後義尚が生まれ、義政の妻の富子が将軍を義尚にすることを強く望んだため、
争いとなってしまいました。
その他にも、山名と細川の権力争い、畠山家、斯波家の家督争いも絡み、争いは以下の様に西軍と東軍に分かれ戦いました。
更には1468年以降は義視が西軍につき義尚が東軍につくなど、状況はより複雑になっていきます。
最終的には、山名宗全と細川勝元が死亡し両軍の総大将を失ったことで、両軍は和睦で終結を迎えます。
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