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公開日:2019/8/14 , 最終更新日:2022/6/10
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■日本神話とは
日本神話とは、古事記(712年)と日本書紀(720年)の中で主に日本の成り立ちを説明した部分を言います。古事記と日本書紀(合わせて記紀という)はどちらも天武天皇の命によって編纂されたものですが、
古事記は国内向けに書かれ、日本漢文体で全3巻、日本書紀は対外的にも日本の歴史を説明できる様に書かれ、漢文体の全30巻となっております。
古事記より古い書物には「天皇記」「国記」があったのですが、乙巳の変(645年)の蘇我氏滅亡時に屋敷もろとも焼けてしまったと言われているので、現存する書物としては古事記が最も古いものとなります(他に古史古伝があるが、書かれた年代や内容の真偽は定かではない)。
ここでは古事記に書かれている内容を主に説明します。古事記は以下構成になっています。
<古事記の構成>
上つ巻:序・神話
中つ巻:神武天皇(初代)から応神天皇(第15代)まで
下つ巻:仁徳天皇(第16代)から推古天皇(第33代)まで
記紀(に限らず古文書とはそういう傾向がある)は、時の為政者の意図が多分に含まれた書き方になっている可能性がありますので、全て事実とは限らなく、
例え事実だったとしても一面しか捉えていない可能性があることを十分考慮する必要があります(例えば、戦争に勝利した側からの見方しかされない、など)。
しかし全くのでたらめという訳ではなく、書いてあることは現実に起こったことの何かを示唆している筈で、日本神話も例外ではないと思います。
■実在した天皇は誰から?
諸説あり、全ての神武天皇(在位BC660~BC585)以降全ての天皇が実在したという説と、第10代崇神天皇(およそAC300)以降が実在、第15代応神天皇(およそAC400)以降が実在、第26代継体天皇(AC500)以降が実在する説があります。
また、崇神天皇と神武天皇は同一人物であるという説があります。
神武天皇が即位した年から数えた年を「皇紀」といい、キリストが生まれるより660年前に即位しました。従って西暦に660年を足した年が皇紀といいます。
しかし本当にBC660年に即位したならば、初期の天皇はすごい長生きした計算になってしまい(約130歳を数えた天皇もいる)、それは考えられないという事から、本当は実在しなかったという説に繋がっています。
しかしもう一つの説として、初期の天皇の時代は「春秋二倍暦説」という、1年は現在の半年という計算になっていたため、実際にはその半分の年齢で亡くなっていたという説があります。それに従うと実際に神武天皇が即位したのはちょうど紀元前後となり、その後の天皇とも矛盾なく繋がります。
■主な登場人物まとめ
天上世界(高天原:たかまのはら)に住んでいた伊邪那岐命と伊邪那美命が地上世界(葦原中国:あしはらのなかつくに)を作ったと言われており、二人からたくさんの神々が産まれました。伊邪那美が亡くなり、その後、伊邪那岐が体の一部を洗うと天照大御神らが産まれたとされている為、
天照大御神らは伊邪那美の子どもではありません。なお、以下に現れる人物が祀られている神社についてはこちらで説明。
■天照大御神と卑弥呼の関係
天照大御神は卑弥呼であるという説があります。それは魏志倭人伝にも出てくる程の人物であった卑弥呼が記紀に出てこない理由は、出ていないのではなく記紀上に出てくる誰かではないかという説があります。
天照大御神の話で有名な天岩戸神話は、天照大御神が荒くれ者だった須佐之男に怒り岩の中に隠れてしまい世界が暗くなったという話ですが、暗くなった原因は実は皆既日食であり、
卑弥呼が死んだとされる247年に皆既日食が有った事から、天照大御神は卑弥呼であるという説になります。
しかし神武天皇はBC660、あるいは春秋二倍暦説に従って紀元前後に即位しているので、それより前に生まれた筈の天照大御神と矛盾が生じてしまいます。
そこで神武天皇は崇神天皇の説を採用すればその矛盾が解消します。つまり、247年に卑弥呼が死んで、その後崇神天皇(=神武天皇)が300年代に九州に有った邪馬台国が東遷して大和朝廷を作ったという事です
(邪馬台国東遷説の根拠についてはこちらで説明)。
ではなぜ、記紀では卑弥呼が現れなかったのか、崇神天皇と神武天皇を異なる人物としたのか。その理由は、もともと記紀は日本という国はきちんとした歴史を持っているという事を示す目的だったので、
魏との関係をあまり示したくなく(卑弥呼の時代は魏に朝貢していた)、卑弥呼の事を記すことができなかったとも考えられています。
この説を私は支持するわけではありませんが、こういう説もあるという事で紹介しました。
■高天原の場所
天照大御神=卑弥呼だとすると、邪馬台国=高天原となります。邪馬台国は九州に有った説を私は支持しますので、高天原も九州に有ったと考えます。
瓊瓊杵尊が天孫降臨した場所も高千穂、天岩戸神社(天岩戸神話の舞台)も高千穂なので、やはり高天原は九州に有ったと考えるのが自然と思います。
■バナナ型神話
瓊瓊杵尊に嫁がせようとしたのはサクヤヒメとイワナガヒメの二人の姉妹であったが、イワナガヒメは容姿が醜かったため帰されてしまった。しかし実はイワナガヒメは岩の様に長く栄える神で、帰してしまったために瓊瓊杵尊の以降は人類に寿命というものができてしまう。
これはバナナ型神話と言って、東南アジアやニューギニアに多くみられる、死にまつわる神話である。内容は、神が人間に対してバナナと石を提示し、どちらか一つを選ぶように命じる。人間は食べられない石よりバナナを選ぶが、実は石は不老不死の象徴で、バナナを選んだことでバナナの様に腐りやすい体になって、人間が死ぬようになった。
これは東南アジアなど南方の地域の人種と交流があり文化の影響を受けた可能性があることを示しています。
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