マイケル・サンデル著『それをお金で買いますか』の感想



読んだ本のこと

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技術,工学:50

産業:60

文学:90

公開日:2021/5/26    

■本の情報 
<作者> マイケル・サンデル (鬼澤忍 訳)
<発行日> 2012年5月 (早川書房)

■概要 ネタバレを含みます。緑文字は私の意見、補足になります。
今の世の中は、あらゆるものがお金で取り引きすることが可能である。そこに疑問を投げかけているのが本書の論旨で、 あらゆる物に値段をつけて売り出すのと同時に何か大切なものも失っているという。

例えば、自分の額に入れ墨で広告を入れる権利の販売や、本来イヌイットの文化を守るために与えられた、希少種であるセイウチを撃つ権利を、ハンターに売るという行為など。 売買することで誰も余計に不幸になっていないにも関わらず、本来売るべきではないと感じる例を挙げて、それの何が問題なのかを考える。

貧しいものからの搾取という公正さの問題もあるかもしれないが、それよりも重要なものに美徳、道徳、正義の腐敗の問題を筆者は挙げている。 マイケル・サンデル氏はコミュニタリアンのため、功利主義や、リベラリズムに対する否定的な意見を持っています。以下に私の興味深かった例を挙げます。

行列に並ぶ代行者
無料の演劇を見るためには長い行列に並ぶ必要があるが、並び屋を雇い料金を支払うことで、本人は並ぶことなく演劇を見ることができる。これを擁護する考えとして、一つは個人の自由の尊重にかかわること、もう一つは功利主義的な考え、 つまり売り手と買い手双方に利益をもたらし、財を効率的に分配する(財はそれを最も高く評価する買い手に渡らなければならないという考え)ことで、社会全体としては最大多数の最大幸福が得られるという考えである。 一方これを非難する考えとして、一つは、支払い能力のない人は劇を見れないという公正さの問題がある (しかし並ぶことは、自由時間のない人は劇を見れないという点で、それも不公平であるという反論もある)。 もう一つは(これが著者が最も伝えたいことだと思うが)、身分によらず誰でも無料で演劇を見るという本来公的な役割を持たせたかったものが、個人が利益を得るための道具に成り下がってしまうという点で、品位を著しく貶めているという点である。

本来公的な役割をもつものが市場の論理にさらされる事で、その価値を下げてしまうという問題は、私も同意見である。また、公的な役割ではないにしても、売り手と買い手の間に何も生産していないダフ屋の様なものが入り込み、 利益を得ることには非常に問題を感じる。市場における適正価格に対する利益は生産者に払われるべきである。最近はコンサートなどのチケットは転売防止が図られるようになってきた(チケットは抽選方式にし、購入者とチケットが紐付きの状態になる)ので、 市場vs行列の問題は解消されつつあるのではないか(今回の事例の無料の演劇もそうすればよい)と感じているが、その他の例として新作ゲーム機などは相変わらず転売が横行している。仮に生産者側が、適正価格を市場に決めさせるという意味で、株取引の様に全てオークション方式で人気商品を販売する様にしたらどうなるのだろうか。

罰金と料金
保育園に子供を預けている親に対して、迎えに来るのが遅れたら罰金を科すようにしたら、罰金がない時より迎えに来るのが遅れるようになった。これは罰金を料金と捉え、遅れて迷惑をかけているという罪の意識を軽減させてしまったからである。つまり、道徳的な問題を市場関係に置き換えてしまったのである。 ビデオの延滞料金の様に、罰金ではなく料金として捉えても問題ないものもあるが、道徳的意義を持たるべきものには値段をつけてはいけないということを著者は訴える。

今回の議論とはそれますが、日本では無断駐車に対して高額な罰金を取るような警告看板がありますが、あれは法的根拠が無く、実際にそのような罰金を取ることはできないようです。 私は、罰金にするのではなく料金にすれば、高額でも支払ってもらえるのではないか?と疑問に思います。料金と捉えるならば、売り手側が自由に値段を決めれるはずなので「ここに駐車した方はサービスを受けたものとみなし、1時間につき10万円いただきます」みたいにしてはどうだろう。 ただそうすると、本当に支払い意思があって駐車する人がいるかもしれませんが。。

生と死を扱う市場
現在では生命保険は、自分の身に何かあった時のリスクから家族を守るためのものと考えられているが、生命保険が考えられた当時は、自分の死を賭けたギャンブルと捉えられていた。保険加入者は死ぬことに賭け、保険会社は死なないことに賭けると捉えることができる。 また海外には生命保険買取(バイアティカル)というものがあり、死が近い人の生命保険を買い取り、生命保険を売った人は余生を豊かに生きるためにそのお金を使用することができる。一見、全ての当事者にとって申し分のない取引に見えるが、仮に、死期が近い原契約者が想定より長く生き永らえた場合、 買い取った人はずっと契約料を払い続ける必要があるため、損をする。従って、買い取った人はその人に早く死んでほしいと願うことになる。

これらは、殺人のインセンティブを生んだだけではなく、人間の命に市場価格をつけるという冒涜を犯したのである。

テロの先物市場
次のテロ攻撃がどこで起きるかに賭けることができる取引市場があるとしたら、その賭けの結果が政府が国家の安全を守るのに利用できる有益な情報をもたらす可能性がある。とのこと。 賭ける人は自分の予測に自己資金を賭けるので、大きく賭けようとする人は最高の情報の持ち主だと推定できるためである。しかしこの案は、この仕組みがうまくいくかが疑わしい(テロリストがこの結果を見たら、すぐさま標的を変えるかもしれない)という理由のほかに、 不幸な出来事への賭けを行うということが道徳的な嫌悪感を招くという理由で、実現することはなかった。

■感想
以上の例を鑑みるに、お金で買おうと思えば買えるが、買うべきではないものが存在するという。それは道徳的視点での腐敗を招いたり、正義や美徳を失ってしまう場合があるからである。 私としても著者の主張に同意で、功利主義的な考え方だけでは豊かで文化的な生活をおくることができないのだと感じた。 本著で紹介された事例以外にも、お金で買うべきではないもの、あるいは損か得かで考えてはいけないものに、"文化や伝統"があると思います。 例えば、何千年も前からそこに生え、人々は畏敬の念を払い御神木として敬ってきた樹木があるとして、その場所に道路を通した方が経済的には有益になるからといって、 果たしてその樹木を切り倒してもいいのだろうか。あるいは、税金の負担を減らすことができるからといって、日本人が誇りとしてきた何千年も続く皇室制度を廃止してもいいのだろうか。 そういうことなんだろうと思いました。




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