反正天皇, 允恭天皇 (古事記)



古事記

公開日:2025/2/21     

関連知識
 ・登場人物, 神の系図
 ・前の話:仁徳天皇, 履中天皇
 ・次の話:安康天皇, 雄略天皇


■反正天皇

水歯別命(=反正天皇)は丹比の柴垣宮で天下を治めました。天皇は身長が九尺二寸半(約3m)、歯の長さが一寸(3cm)、幅が二分(6mm)、上の歯も下の歯も均一に揃い、あたかも真珠を貫いたようでした。 御陵は百舌鳥野にあります。(仁徳天皇、履中天皇との三つを合わせて百舌鳥耳原三陵といいます)

■允恭天皇

男浅津間若子宿禰王(おあさつまわくごのすくねのみこ, 允恭天皇)は、遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)で天下を治めました。 初め皇位を継承する際に「自分には持病があるため皇位を継ぐことは出来ない」と言いましたが、皇后を始めとして多くの高官たちの要請によってついに天下を治めました。 天皇即位の知らせが届いた時、新羅の国王が八十一艘の船に貢物を載せて天皇の所に参上しました。その時の大使が薬の処方に深く通じていたので、天皇の病気を治療しました。

天皇は、多くの人の氏姓が誤っている事を嘆きになり、天下の多数の官人たちの氏姓を正しました。

<軽太子の密通、捕らわれ、伊予へ流刑>
天皇が崩御した後に、木梨之軽太子(きなしのかるのひつぎのみこ)を皇位継承者と定めましたが、まだ即位していないときに太子は同じ母の妹の、軽大郎女(かるのおおいらつめ)と不倫の愛を結びました。 その事が知れ渡り、天下の民たちは軽太子に背を向けて、弟の穴穂御子(あなほのみこ)に心を寄せました。軽太子はこの世情に恐れをなして、大前小前宿禰大臣(おおまえおまえのすくねのおおきみ)の家に逃げ込んで武器を作り戦う準備をしました。 穴穂御子も軍を起こし、大前小前宿禰大臣の家を包囲しました。そしてその家の門に着いた時に大雨が降りました。そこで歌を歌ったときに、大前小前宿禰が舞い踊り歌いながら穴穂御子の前に現れ、「兄弟に兵を向けると必ず世の人が笑うでしょう。私が拘束して引き渡します」と 言ったところ、穴穂御子は軍を引き上げました。そして大前小前宿禰は軽太子を拘束し引き渡しました。軽太子は伊予の温泉に流刑に処されました。衣通大郎女(軽大郎女)は太子を恋い慕う気持ちに堪えられずに太子の後を追っていき、最後に二人は一緒に心中しました。




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