三種の神器, 神代三剣 (古事記)



古事記

公開日:2025/3/1     

関連知識
 ・登場人物, 神の系図


古事記に登場する、三種の神器、神代三剣について説明します。

■三種の神器とは

三種の神器とは、天孫降臨の際に天照大御神瓊瓊杵尊に授けた、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のことを言います。 草薙剣は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とも言います。

<八咫鏡>
天照大御神の天の石屋隠れの際に、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)が作ったという鏡。 天照大御神が外が騒がしいと思い、石屋から少し顔をのぞかせた際に、天照大御神の前に差し出したのがこの鏡です。現在八咫鏡は伊勢神宮に祀られています。

<八尺瓊勾玉>
天照大御神の天の石屋隠れの際に、玉祖命(たまのおやのみこと)が作ったという勾玉。八咫鏡とともに榊の木に掛けられました。現在八尺瓊勾玉は、皇居の「剣璽の間」に安置されています。

<草薙剣>
草薙剣は須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲で討伐した八岐大蛇の尾から出てきた剣である。これを天照大御神に献上し、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊に授けた。 後に倭建命(やまとたける)が東征する際に、伊勢の神宮の斎王である倭比売命(やまとひめのみこと)から譲り受ける。 道中の相模国で、国造が火を放ち、周りを火で囲まれた際に、倭建命は自らの周りの草を薙ぎはらい、火打石で草を焼いたときにこの剣を使用した。 日本書紀では、この時に剣名が天叢雲剣から草薙の剣に変わったとされています。

倭建命の死後、草薙の剣は倭建命の妻である美夜受比売(みやずひめ)に尾張国で祀られました。その後、草薙の剣をご神体とした熱田神宮が建立され、現在まで祀られています。

■壇ノ浦の戦いで沈んだ三種の神器

平家側に擁立されていた安徳天皇は、壇ノ浦の戦いで敗れた際に三種の神器とともに海に入水しました。その後、木箱に入っていた八咫鏡、八尺瓊勾玉は海に浮かんでいるのを回収することができましたが、 草薙の剣は海に沈んで回収することができませんでした。しかしこれらの三種の神器は形代(模造品に魂を込めたもの)だったので、本体は失われずにあります。

■神代三剣とは

神代三剣(かみよさんけん)とは、草薙剣、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)、天羽々斬(あめのはばきり)のことです。

<布都御魂剣>
建御雷神(たけみかずちのかみ)が、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した際に使用した十拳剣(とつかのつるぎ)であり、 また神武天皇の東征の際に、建御雷神から授かったと言って、熊野山中で高倉下が神武天皇の下に持参した剣です。現在は石上神宮で祀られています。

<天羽々斬>
須佐之男命が八岐大蛇を討伐した際に使用した剣のことです。古事記では十拳剣と呼ばれていますが、後に天羽々斬と名付けられました。天羽々斬も石上神宮に祀られています。

■その他の剣

<十拳剣>
古事記では上記の神代三剣の他にも何度か十拳剣/十握剣という名前の剣が出てきます。十拳剣は固有名詞ではなく、「10束(1束は拳1つ分の幅) の長さの剣」という意味の長剣の総称と考えられています。

伊邪那岐が火之迦具土神(かぐつちのかみ)の首を斬ったときの剣。この剣は天之尾羽張(あまのおははり)と言います。

・ 天照大御神と須佐之男命が誓約をした際に使用。天照大御神が須佐之男命の十拳剣を三つに折って、口に含み吐き出した際に宗像三女神を生み出した。

・ 須佐之男命が八岐大蛇を討伐した際に使用。これが神代三剣の一つの天羽々斬となる。

・ 建御雷神が、葦原中国を平定した際に使用、これが後に神代三剣の一つの布都御魂剣となる。

火遠理命(ほおりのみこと, 山幸彦)が火照命(ほでりのみこと, 海幸彦)の釣り針を失くした際に、自分の十拳剣を壊して釣り針を作って弁償した。


<七支刀>
七支刀は日本書紀に出てくる剣で、百済と倭国の同盟の証として神功皇后へ「七子鏡」一枚と「七枝刀」一振りが献上されました。




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