綏靖天皇から開花天皇まで, 欠史八代 (古事記)



古事記

公開日:2025/3/5     

関連知識
 ・登場人物, 神の系図
 ・前の話:神武天皇の東征
 ・次の話:崇神天皇, 垂仁天皇


第2代 綏靖(すいぜい)天皇から第9代 開花天皇までは欠史八代と呼ばれ、古事記/日本書紀でほとんど詳細が述べられていない天皇のことです。記紀に「欠史八代」という記述がある訳ではありません。

■綏靖天皇

神武天皇が崩御した後に、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)が天皇の皇后だった伊須気余理比売(いすけよりひめ)と結婚した時に、天皇の三人の息子を殺そうと企てているので、伊須気余理比売は悩み苦しみ歌で三人の息子に知らせました。 息子はその歌の意味する危機を知り、神沼河耳命(かんぬなかわみみのみこと)が兄の神八井耳命(かんやいみみのみこと)に対して当芸志美美命をお殺しなさいと申したところ、神八井耳命は武器を取って殺そうとしたが手足が震えてしまって殺すことができません。 すると弟の神沼河耳命が兄の持っていた武器を受け取り、踏み入って当芸志美美命を殺しました。 このことで神八井耳命は神沼河耳命(綏靖(すいぜい)天皇)に皇位を譲り「私は敵を殺すことができませんでしたが、あなたは敵を殺すことができました。なので、私は兄であっても天皇となるべきではありません。 従って、あなたが天皇となり、私はあなたを助け守護人となってお仕えします」といいました。

■安寧天皇

安寧(あんねい)天皇のことである、師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)は、片塩の浮穴宮で天下を治めました。

■懿徳天皇

懿徳(いとく)天皇である、大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)は、軽の境岡宮で天下を治めました。

■孝昭天皇

孝昭(こうしょう)天皇である、御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと)は、葛城の掖上宮(わきがみのみや)で天下を治めました。

■考安天皇

考安(こうあん)天皇である、大倭帯日子国押人命(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)は、葛城の室の秋津嶋宮で天下を治めました。

■孝霊天皇

孝霊(こうれい)天皇である、大倭根子日子賦斗瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと)は、黒田廬戸宮(くろだのいほとのみや)で天下を治めました。 孝霊天皇の子供に大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)がいます。

※大吉備津日子命は桃太郎のモデルになったと言われています

■孝元天皇

孝元(こうげん)天皇である、大倭根子日子国久琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)は、軽の境原宮で天下を治めました。

■開花天皇

開化(かいか)天皇である、若倭根子日子大毗々命(わかやまとひこねこおおひびのみこと)は、春日の伊耶河宮(いざかわのみや)で天下を治めました。




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