伊邪那岐神と伊邪那美神 (古事記)



古事記

公開日:2025/2/17     

関連知識
 ・登場人物, 神の系図
 ・前の話:別天つ神と神世七代
 ・次の話:天照大御神と須佐之男命


■伊邪那岐神と伊邪那美神の国づくり

天の神々は伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)に「漂っている状態の国土を直し、固めよ」と言い、天の沼矛(ぬほこ)を与えました。 二神は天の浮橋※の上に立ち、矛を下界にさしてかき回すと、海水は「こおろ こおろ」と音を立て、矛を引き上げる時にその先から滴り落ちた塩が積もって島ができました。 これを淤能碁呂島(おのごろしま)といいます。二神はその島に降りて、天の御柱と八尋殿を建てました。

※補足:天の浮橋はこの後にも、 天忍穗耳命が葦原中国を覗いた時に立った時、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊が天上から地上に降り立ったときに登場します。

次に伊邪那岐は妻の伊邪那美に「お前の体はどのようにできているのか」と問うと、「私の体は成長し終えてもなお合わないままの所が一カ所あります」と言いました。 すると伊邪那岐は「我が身は成長し終わって余った所が一カ所ある。そこで私の余ったところを、お前の身の成り合わなかったところに刺し塞いで国を生み作りたいと思う」と言い、 更に「この天の御柱をぐるっと廻って出会ったところでまぐわいをしよう」と言いました。

この様に伊邪那美は柱を右から廻り、伊邪那岐は左から廻って出会ったときに、伊邪那美が先に「ああ、愛すべき男よ」と言い、その後伊邪那岐が「ああ、愛おしい乙女よ」と言いました。 伊邪那岐は「女が先に言葉をあげるのは不吉だ」といい、そして産んだ子供は水蛭子だったので、葦の船に乗せ放流しました。次に生まれた淡島も子供の数には入れませんでした。 そこで二神は天つ神に相談したところ、天つ神は「女が先に誘いの言葉をかけたことが良くない。帰ってもう一度やり直しなさい」と言いました。

こうして二神は戻って、もう一度天の柱を廻り、今度は男の方から声をかけまぐわいを行った結果、子供が生まれました。生まれた島の順は以下のとおり。

・ 淡道之穂之狭別島(淡路島)
・ 伊予之二名島(四国)
・ 隠伎之三子島(隠岐の島)
・ 筑紫島(九州)
・ 伊岐島(壱岐の島)
・ 津島(対馬)
・ 佐度島
・ 大倭豊秋津島(本州)

これらを大八島国といいます。更に国生みから戻る途中に以下を生みました。

・ 吉備の児嶋
・ 小豆嶋
・ 大嶋(周防大島)
・ 女嶋(大分県の姫島)
・ 知訶島(五島列島)
・ 両児の嶋(五島列島の女島、男島)


■神生み, 伊邪那美の神避り

二神は国生みを終えて、次には大事忍男神(おおことおしおのかみ)を始めとする、海の神、山の神、野の神、風の神など多数の神を生みました。 しかし伊邪那美は、火の神の火之迦具土神(かぐつちのかみ)を生んだときにほと(女陰)が焼かれたのが原因で亡くなり(神避り)ました。こうして二神が生んだ島は14島、神は三十五神になります。

伊邪那岐は「いとしい我が妻よ、お前を一匹の子と引き替えにできようか」と言って、横たわる妻の御枕の方へ腹這いになり、声をあげて泣きました。 そして出雲国と伯耆国の境の比婆の山に葬りました。すると伊邪那岐は十拳(とつか)の剣で火之迦具土神の首を斬りました。その時斬った十拳の剣の名前を天之尾羽張(あまのおははり)と言います。

■伊邪那岐, 黄泉の国へ行く

伊邪那岐は伊邪那美に会いたいと思い、あの世である黄泉の国に行きました。伊邪那岐は妻に「いとおしい我が妻よ、二人で作った国はまだ作り終えていないので、帰ってきて欲しい」と言いました。 しかし伊邪那美は「もう少し早かったらよかったのに、とても残念なことです。黄泉の国の竈で炊いた食事を食べてしまいました。ですがあなたがこの国まで来ていただいたので、戻れるように黄泉の神と交渉します。 その間決して私を覗き見しないで」と言って御殿の中に帰っていきました。しかし伊邪那岐は長きに耐えかねて、みずらに挿している櫛の歯を抜き取り、火をともして中を覗いてみると、そこには全身にウジがわき、頭部と胸と腹、陰部、両手両足に八種の雷神が湧き出していた伊邪那美の姿がありました。

伊邪那岐は恐ろしくなって逃げ帰ろうとした際に、伊邪那美は「私に恥をかかせましたね」と言ってヨモツシコメという黄泉の国の醜女と軍隊と一緒に追いかけました。 そこで伊邪那岐は黒い髪飾りを外して投げると山葡萄の実がなり、シコメがこれを喰っている間に逃げました。しかし喰い終わるとまた追いかけてくるので、今度はみずらに挿している櫛を投げると竹の子が生え、シコメがこれを喰っている間に逃げました。 伊邪那美は八種の雷神に、多数の黄泉の国の軍隊と一緒に追いかけましたが、伊邪那岐は十拳の剣を後ろ手に振りながら逃げました。ようやくこの世との境の黄泉比良坂(よもつひらさか)の出口まで着いた時に、その坂のふもとに生えていた桃の実を三つ取って迎え撃つと、桃の魔よけの力を受けて軍隊は全て引き返していきました。 一番最後に伊邪那美が追いかけてきましたが、伊邪那岐は千人力でなければ引けない大岩を黄泉比良坂に塞いで、その岩を真ん中に二神が向かい合って立ち別れの言葉を言い渡した時、 伊邪那美は「愛しいあなたがこんなことをするなら、一日に千人首を絞め殺しましょう」と言い、伊邪那岐は「愛しいあなたがこんなことをするならば、一日に千五百人の産屋を建てよう」と言いました。 こういう訳で、伊邪那美は黄泉大神(よもつおおかみ)と言います。黄泉比良坂は出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)と言います。

■伊邪那岐の禊, 三貴子の分治

黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐は「自分は目にするのも嫌な穢れた国に行ったので、穢れを取り除くために身の祓えをしよう」と言って、筑紫の日向の橘の阿波岐原(あはきはら)に行き禊をしました。 身に付けていた物を棄てて、水に身を沈めてすすぎ、左目を洗ったときに天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、右目を洗ったときに月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗ったときに須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれました。 イザナギはとても喜び「自分は子を次々と生まれさせて、最後に三神の貴い子を得ることができた」といい、天照大御神には高天原を、月読命には夜の世界を、須佐之男には海原を治めさせるように言いました。 しかし須佐之男は任命された国を治めず、あごひげが伸びてみぞおちに垂れ下がるまでの長い間泣きわめきました。その有り様は、青々とした山は涙のための水分として取られ枯れ山になり、河と海の水は涙のための水として取られ干上がってしまう程でした。 そのため悪神の放つ声は五月の蠅のように国の全てに満ち、物という物が妖気を発しました。そこで伊邪那岐が泣いている訳を尋ねたところ、須佐之男は「ここを去って、亡き母の国の根之堅洲国(ねのかたすくに)に行きたいと思っているからです」と言いました。 これに伊邪那岐はとても怒って「それならお前はもうこの国に住むな」と言って須佐之男を追放しました。




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