火遠理命, 鸕葺草葺不合尊



古事記

公開日:2025/2/23     

関連知識
 ・登場人物, 神の系図
 ・前の話:瓊瓊杵尊の天孫降臨
 ・次の話:神武天皇の東征


■火遠理命と火照命

火照命(ほでりのみこと)は海佐知毗古(うみさちひこ)として海の魚をとり、火遠理命(ほおりのみこと)は山佐知毗古(やまさちひこ)として山の動物をとっていました。ある時、火遠理命が兄の火照命に「互いの猟具を取り換えて使ってみよう」と言い、 三度提案しても兄は受け入れなかったが、遂に交換することができました。そこで火遠理命は兄の道具で魚を釣ろうとしたところ、一匹も釣れないどころか、釣り針を海中に失くしてしまいました。

<海宮訪問>
火遠理命は火照命にそのことを打ち明けましたが、火照命はしきりに返せと責め立てました。そこで弟は自分の十拳の剣を壊して、500本の釣り針を作って弁償しましたけども兄は受け取らず、元の釣り針を返せと言いました。 弟は海辺で泣き憂いている時に、塩椎神(しおつちのかみ)がやって来て泣いている訳を聞いてきたので説明したところ、塩椎神は籠の小舟に火遠理命を乗せ 「この船に乗ってしばらく行きなさい、そうすると綿津見神の宮があるので、門についたらそこの木の上にいてください。そうすると海の神の娘が姿を見つけよい様に計らうでしょう」と言いました。

その教えに従っていくと塩椎神のとおりとなりました。そこで木の上に登って待っていたら、召使いがそれを見つけ海の神の娘の豊玉毗売に伝え、豊玉毗売が出向き火遠理命を見るなり感じ入り、目を交わし合いました。 そして父にも伝えたところ、海の神自身見にきて「この人は天津日高(あまつひこ)の子供の虚空津日高(そらつひこ)でいらっしゃる」と言い、宮殿にお連れしてたくさんのご馳走をしました。そして豊玉毗売を妻にして、火遠理命は三年間その国に住みました。

<海宮からの帰還、火照命の服従>
火遠理命は、自分がこの国に来るに至った理由を思い出し大きなため息をつきました。すると豊玉毗売がこのため息を耳にし、父に伝えました。そこで父がその理由を聞くと、火遠理命は自分が無くした釣り針を兄に返せと責め立てられている事を説明しました。 そこで海の神は海の魚を全て集め、釣り針を取った魚がいないか尋ねました。すると多くの魚が「近ごろ鯛が喉に小骨が刺さって物が食べられないと言っています。きっと鯛がとったに違いありません」と言い、そこでその鯛の喉を調べてみると釣り針がありましたので、取って火遠理命に献上しました。 そして海の神は「この釣り針を渡すときには『淤煩釣(おぼち)、須々釣(すすち)、貧釣(まぢち)、宇流釣(うるち)』と言って渡しなさい。そしてその兄が高い所の田を作るなら、あなたは低い所の田を作りなさい。兄が低い所の田を作るなら、あなたは高いところの田を作りなさい。 そうすると3年のうちに兄は貧乏になるでしょう。もし、兄があなたを恨み戦いを挑んできたら、潮が満ち溢れる玉を出して溺れさせ、哀れみを乞うならば潮干の球を出して生かし、悩まし苦しめてやりなさい」と言い、二つの玉を授けました。 そしてワニの首にのり、一日で火遠理命はもとの住処に帰りました。そして火遠理命は海の神の言うとおりにすると、兄はだんだん貧しくなり、兄が攻めようとするときに潮満つ玉を出して溺れさせ、哀れみを乞えば潮干る玉を出して助けてやり、悩まし苦しめた時に、 兄はついに額を土にこすりつけ「私は今からあなたを昼も夜も守る盾になってお仕えします」と言いました。それで火照命の子孫の隼人は、火照命が溺れた時の恰好の演技を絶えることなく仕っています。

■鸕葺草葺不合尊

豊玉毗売が火遠理命の所に参上し、自身が身籠っている事を伝えました。そこで海辺の渚に鵜の羽を屋根、壁を葺く草の代わりとして産屋を作りました。しかし産屋がまだ葺き終わらないうちにお腹の切迫に耐えられなくなり、産屋で産もうとした時に、 火遠理命に対して「子供を産むときは私は本来の姿になって産むので、どうか私を見ないでください」と言いました。しかしその言葉を火遠理命は不思議に思い覗き見すると、豊玉毗売は大きなワニ(鮫)になって腹這っていました。 火遠理命は見て驚き恐ろしくなって逃げだし、豊玉毗売は覗き見されたことを知って心より恥ずかしいと思い、産んだ子供を置いて、海の国へ帰ってしまいました。そこで産んだ子供の名前を鸕葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)といいます。

しかし後に豊玉毗売は、覗き見されたことを恨みつつも恋心に耐えらえず、妹の玉依毗売に添えて歌を献上しました。そして日子穂穂手見命(火遠理命)は高千穂宮に580年間おいでになり、御陵は高千穂の山の西にあります。




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