大国主神の国造り (古事記)



古事記

公開日:2025/2/18     

関連知識
 ・登場人物, 神の系図
 ・前の話:天照大御神と須佐之男命
 ・次の話:建御雷神の葦原中国の平定


■大穴牟遅神と稲羽の素兎

須佐之男命の子孫に、大国主神と神々(八十神)の兄弟がいました。八十神は稲羽(因幡)の八上比売(やがみひめ)と結婚したいと思い、皆で一緒に稲羽へ、大穴牟遅神(おおあなむじのかみ, 大国主神のこと)には袋を背負わせ従者として連れて行きました。 気多の岬についた時に毛をむしり取られた兎がいたので、八十神は兎に対し「海水を浴び高い山の尾根で風に当たっていなさい」と言いました。兎はそのとおりにすると、風によって皮膚が吹き裂かれ痛み苦しみました。

そこに一番遅れてやってきた大穴牟遅がその兎をみて、そうなった経緯を聞きました。兎は「隠岐の島からここに渡りたいと思っため、ワニ(鮫)を欺き、自分とワニの一族どちらが多いか競おうと言い、ワニを隠岐の島から気多の岬まで並べ、その背の上を歩いていった。 最後に地面に降りかかる寸前で、ワニに『お前は私に欺かれたのだ』と言い終えるや否や、最後にいたワニが自分を捕まえて自分の着物をすっかりはぎ取ってしまった。この様な理由で泣いていた所、八十神が海水を浴びて風にあたっていろと言うので、言うとおりにしたところすっかり傷だらけになった」と言いました。 そこで大穴牟遅は兎に「真水で体を洗って蒲の花を摘み敷き散らして、その上で転がれば素の肌の様に治る」といい、兎はその通りにすると元の身体に戻りました。これを稲羽の素(白)兎といいます。

兎は大穴牟遅に「あの大勢の神はきっと八上比売を得ることができません。袋を背負っていてもはあなたが得るでしょう」と言い、そのとおり八上比売は八十神の求婚を断って、大穴牟遅と結婚すると言いました。


■大穴牟遅神の受難

このことで八十神は怒り、大穴牟遅を殺すため伯耆の国の山の麓に連れていき「我らが赤い猪を追い下すから、下で待ち受けて捕まえろ。もし捕れないならお前を殺す」と大穴牟遅に言い、猪に似た大きな石を火で焼いて転がし大穴牟遅にぶつけ、殺してしまいました。 大穴牟遅の母は泣き悲しみ、天上界の神産巣日之命(かんむすひのみこと)にお願いした時に、𧏛貝比売(さきかいひめ)と蛤貝比売(うむかいひめ)を遣わし、身を削った貝殻の粉をあつめ、貝汁で練り母乳の様にして塗ると、大穴牟遅は復活しました。

八十神はこの様子を見て、また大穴牟遅を山に連れて入り、大樹を切り倒し、その木に楔を打ち込んで出来た隙間に入らせた瞬間に楔を外し大穴牟遅を挟んで殺してしまいました。この時もまた母親が泣きながら木を割いて中から取り出し生き返らせました。 そして「お前がここにいると本当に八十神に殺されてしまう」と言い、紀伊国の大屋毗古神(おおやびこのかみ)のもとに人目を避けて行かせました。しかし八十神は追いかけてきて、大穴牟遅を引き渡すように要求しました。大屋毗古神は大穴牟遅に「スサノオのいる根の堅洲国に行きなさい」と言いました。

<大穴牟遅、根の堅洲国に行く>
大穴牟遅は言うとおりに根の堅洲国のスサノオの所に行ったところ、娘の須勢理毘売命(すせりびめのみこと)と目と目を合わせただけで結婚を言い交しました。そしてスサノオは大穴牟遅を呼び入れて蛇の部屋に寝させましたが、 大穴牟遅は嚙みつこうとした蛇に対して、須勢理毘売から受け取った蛇の布を三度振ることで追い払うことができました。次の日はムカデと蜂の部屋に入れられましたが、同じ様に須勢理毘売からもらったムカデと蜂の布を使って追い払いました。 次にスサノオは矢を野の中に射ってそれを大穴牟遅に取ってこさせようとしました。しかし大穴牟遅が野の中に入った時にスサノオは火をかけ野を焼き払いました。大穴牟遅はどこから逃げ出せるか分からないでいた間に鼠が来て、 穴が開いている場所に案内されました。そこに隠れている間に火はその上を焼け通り過ぎていきました。そして鼠が矢を加えて持ってきて大穴牟遅に渡しました。

大穴牟遅が死んだと思った須勢理毘売とスサノオですが、大穴牟遅が矢を持ってきたので、スサノオは大穴牟遅を家に連れて行き頭の虱をとらせようとしました。 しかしスサノオの頭にはムカデがたくさんいたので、須勢理毘売から与えられた木の実と赤土を大穴牟遅はかじって吐き出すと、スサノオはムカデをかじって吐き出していると勘違いし、可愛いやつだと思って寝てしましました。 その隙に大穴牟遅はスサノオの髪の毛を柱に結び付け、五百人力でやっと動かせる大岩を部屋の入口にもってきて塞ぎ、妻の須勢理毘売を背負い、刀と弓矢、天の沼琴をもって逃げ出しました。 そのとき天の沼琴が木に触れ大きく鳴り響いたためスサノオが起きてしまいましたが、柱に結んだ髪をほどいている間に大穴牟遅は遠くに逃げてしましました。 それでもスサノオは葦原の中つ国との境の黄泉比良坂まで追いかけていき、遥か遠くの坂を見上げ大穴牟遅にこう言いました。「お前が持っている刀と弓矢で、お前の異母兄弟の八十神を追い払って、お前が大国主神(おおくにぬしのかみ)となり、 須勢理毘売を正妻とし、宇迦の山の麓に宮殿を高くたてて住むがよい。こいつめ」。そうして大穴牟遅は言われた通りにして、初めて国を作りました。 また、八上比売も大穴牟遅と結婚しましたが、八上比売は正妻の須勢理毘売を恐れ、自分の生んだ子供を木の俣に挟んでおいて稲羽の国に帰ってしまいました。

■八千矛神の歌物語

大国主の別名である八千矛神が越国(今の北陸)の沼河比売(ぬなかわひめ)と結婚しようと出かけた際に唄を歌った。するとその歌にこたえて沼河比売も歌いました。こうして二人は結婚しましたが、正妻の須勢理毘売はとても嫉妬したため、 大国主は出雲国から大和国へ行こうとして旅立つさいにスセリビメに唄を歌った。そして須勢理毘売も唄を歌い返した。そして、酒を交わし合い、もう大和にはいかないと約束し、互いの首に腕を回し合い、今に至るまで鎮座している。この物語を神語りという。

■少名毗古那神との国づくり

大国主が出雲の美保岬にいったときに船に乗ってくる神がいました。しかし名前を聞いても答えず、お付きの神たちに尋ねても誰も知らないというため、久延毗古(くえびこ)を呼んで聞いたところによると、これは神産巣日神の子の少名毗古那神(すくなびこなのかみ)であると言う。 そこで大国主が天上界の神産巣日神に聞いたところ、「まさしく我が子であり、私の手の指の俣から漏れ落ちた子です。だから葦原色許男命(大国主の別名)と兄弟となってあなたの国を作り堅めなさい」と言われました。 そこで二人で国を作り堅めた後、少名毗古那神は常世国に渡りました。大国主は一人で国を作れるだろうかと心配していた所、海面を照らして近寄ってきて、一緒に国づくりをしましょうと言う神がいました。その神の名前は大年の神と言います。




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