高天原の場所, 葦原中国に降り立った数の謎 (古事記)



古事記

公開日:2025/3/3     

関連知識
 ・登場人物, 神の系図


■高天原の場所

高天原の場所ははっきりしておらず、そもそも実在しない場所であるという説もありますが、仮に実在するとしたら以下候補が挙げられます。

① 宮崎県の高千穂
高千穂は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨した場所であり、天照大御神が天の岩戸隠れした天岩戸神社もある場所なので、高天原もこの地にあるという説です。

② 茨城県の高天原
高天原という地名があること、葦原中国を平定した建御雷神(たけみかづちのかみ)が祀られている鹿島神宮があるため、ここから葦原中国を平定しに向かったという説があります。

■葦原中国に降り立った回

高天原から葦原中国には複数回降り立っております。

① 伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)が天の浮橋に立ち、葦原中国を作り上げたとき (淡路島に天の浮橋がある)

② 須佐之男(すさのお)が高天原を追放され出雲に降り立ったとき

③ 建御雷神が大国主神から葦原中国を譲り受けたとき

④ 瓊瓊杵尊が高千穂に降り立った時とき

⑤ 饒速日命(にぎはやひ)が大和地方に降り立ったとき


ここで謎なのは、建御雷神が葦原中国を平定したにもかかわらず、瓊瓊杵尊が高千穂に降り立ち、その孫の神武天皇が改めて平定しなければならなかったことです。 これは日本書紀などによると、饒速日命が天照大御神から十種の神宝を授かり、天磐船(あまのいわふね)に乗って、神武天皇に先立ち大和に降り立ったという事が関係しています。 これは同じ子孫同士の戦いがあった末の結果として、神武天皇が勝利して大和を治めるに至ったと解釈ができます。




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