日本人のハプログループ
 旧石器時代, 縄文時代
・ 日本人のルーツ
・ 日本の古史古伝
・ 古代朝鮮との関わり
 弥生時代, 古墳時代
・ 弥生から古墳の流れ
・ 日ユ同祖論とは
・ 邪馬台国
 飛鳥時代, 奈良時代
・ 飛鳥時代, 奈良時代年表
・ 蘇我氏と藤原氏
・ 倭国から日本へ(AC700)
・ 日本の都
 鎌倉時代、室町時代
・ 平氏と源氏
・ 鎌倉から室町へ
・ 応仁の乱
 安土桃山時代
・ 戦国時代
・ 関ヶ原の戦い
 江戸時代以降
・ 幕末から明治
・ 明治から終戦
・ 戦後
・ 五・一五, 二・二六事件
 その他
・ 天皇の名前
・ 昔話の登場人物
・ 伊賀, 甲賀忍者
・ 剣豪, 剣士
 文学
・ 文学史
・ 清少納言, 枕草子
・ 兼好法師, 徒然草
・ 十返舎一九, 東海道中膝栗毛
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応仁の乱の原因と流れを説明します。
■応仁の乱の時代
応仁の乱は、室町時代の1467年に始まり1477年まで続いた争いで、原因は足利家の将軍の後継者争いです。
争いは京都を中心に発生し、そこから全国に争いが広がっていき、ここから戦国時代へと移り変わります (室町時代と戦国時代は併存しており、戦国時代は室町時代と安土桃山時代をまたがっております)。

■応仁の乱の原因
応仁の乱の原因は、8代将軍の足利義政の後継者が、義政の異母兄弟の義視か、義政の子供の義尚になるかの後継者争いです。
義政は当初子供に恵まれず義視に将軍を継がせる予定でしたが、その後義尚が生まれ、義政の妻の富子が将軍を義尚にすることを強く望んだため、
争いとなってしまいました。

その他にも、山名と細川の権力争い、畠山家、斯波家の家督争いも絡み、争いは以下の様に西軍と東軍に分かれ戦いました。
更には1468年以降は義視が西軍につき義尚が東軍につくなど、状況はより複雑になっていきます。
最終的には、山名宗全と細川勝元が死亡し両軍の総大将を失ったことで、両軍は和睦で終結を迎えます。

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