古代朝鮮半島との関わり



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公開日:2019/11/25 , 最終更新日2021/2/28   

古代は様々な文化が朝鮮半島から伝わったとされてきましたが必ずしもそうではなく、逆に朝鮮半島に伝えた文化もあります。 古代の年代は以下のとおり。朝鮮半島にはBC1.0万年からBC5000年まで人の住んだ形跡が見つかっておりません。 従ってBC5000年からが新しい民族による生活が始まった可能性があります。



<稲作>
稲作の歴史は、稲の栽培地だったところから採取されるプラントオパールから調べることができます。プラントオパールとは植物の細胞組織に含まれる二酸化ケイ素で、植物が枯れてなくなった後も長い期間その土壌に残ります。 更に植物個体毎に特徴が表れるので、そこから起源を調べることができます。

稲作の起源は、約一万年前に中国南部の長江流域で始まったと考えられています。従来は、そこから朝鮮半島経由で稲作が日本に伝わったと考えられておりましたが、日本の稲作の方が歴史が古くBC1000年まで遡ります。 朝鮮半島の稲作の歴史は半島南部の方が古くて北部の方が新しく、更に南部においても稲作の形跡はAC600までしか遡ることができません。 これは朝鮮半島の気候が影響しており、北部は気温が寒いのでもともと稲作は向いておらず、畑作の方が適しております。従って北部に稲作が定着するまでだいぶ時間がかかったためです。

以上より、もともと稲作が定着していない朝鮮半島北部を経由するということは考えにくいということと、プラントオパールからの特徴から、稲作は朝鮮半島から伝わった説は否定され、逆に日本から朝鮮に伝えたとされています。日本への伝来は、東南アジアから中国南部から直接伝わって来た説が現在最も有力です。

<古墳>
古墳は日本と朝鮮半島南部にしかありませんが、朝鮮半島の物は5世紀後半の物しかなく日本の方が古いので、朝鮮半島南部にあるものは日本の影響を受けたものと考えられております。

<石碑や古文書からの情報>
・「魏志」韓伝には朝鮮半島の南部は倭国が支配していたという記述がある。

・391年の高句麗の好太王碑文に倭国のことが書かれており、朝鮮半島に日本の支配が及んでいた。

・特に日本と百済の関係が強く、高句麗を相手に一緒に戦ったり、百済が日本に朝貢したり日本に人質を送ったりしていた。この事から百済は日本の属国だったと思われる。また百済には多くの日本人が住んでいたと思われる。

・百済とは唐、新羅を相手に663年の白村江の戦いを行った。しかし日本、百済は敗北し百済が滅亡。その際日本に百済から亡命した人がたくさん入ってきた。




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