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伊賀忍者と甲賀忍者について説明します。
■伊賀忍者
三重県伊賀市に拠点を持つ。鎌倉時代から室町時代にかけて、民衆は自らの領土を守るために技を磨いていったのが、伊賀忍者の起源とされる。
歴史的な事件としては以下があります。
<天正伊賀の乱>
織田信長、次男の信雄からの侵略に対する防衛の戦い。天正7年(1579年)の第一次天正伊賀の乱においては、伊賀がこれを退けるも、
2年後の天正9年(1581年)では伊賀が敗北し、支配下になりました。
<伊賀越え>
天正10年(1582年)、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれると伊賀勢が一斉蜂起しました。
堺に滞在していた徳川家康が明智光秀の追撃を恐れて本国・三河へ脱出しようとした際、伊賀忍者はその逃亡を支援。
家康は伊賀を通って無事に帰国しました。これを「伊賀越え」といいます。そしてこの功績を認められ、服部半蔵(正成)のもと伊賀忍者が幕府に召し抱えられます。
<有名な伊賀忍者>
・服部半蔵:「半蔵」は服部家の歴代当主の名前。初代は服部半蔵保長、二代目は服部半蔵正成。半蔵門の由来にもなっている
・百地三太夫:伊賀流忍術の創始者といわれる。石川五右衛門や、真田十勇士の霧隠才蔵に伊賀流の忍術を伝授したとも伝わる
・藤林長門守:伊賀流のもう一つの家系・藤林家の頭領。伊賀忍術書『万川集海』の編纂にも関わったとされる
・松尾芭蕉:伊賀に生まれる。実は忍者で、奥の細道は幕府の命を受けた隠密の旅だったという説がある。
■甲賀忍者
滋賀県甲賀市に拠点を持つ。甲賀忍者の起源は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけてとされ、室町時代には「甲賀五十三家」と呼ばれる有力な家系が協力し合い、共同体を形成していました。
甲賀は六角氏と共に信長と戦うこともあり、野洲河原の戦いで甲賀の侍衆が加わった六角軍は信長に敗退しました。
その後六角氏が没落すると甲賀は織田信長の支配下に入ることになりました。信長の家臣の滝川一益は、甲賀出身という説もあります。
<有名な甲賀忍者>
・望月千代女:甲賀流のくノ一(女忍者)の伝説的存在。
・伴与七郎:松平元康が鵜殿長照の守る三河上ノ郷城攻めに協力
■伊賀と甲賀は仲が悪かったのか
一般的に伊賀と甲賀は宿敵同士というイメージがあり、実際に伊賀と甲賀の対立を描いたアニメや漫画が多く存在します。
しかし実際には、両者は協力関係にあることが多く、どちらかの国に敵が攻め込んだ場合は力を合わせて敵を退ける場合もありました。
両者が対立するイメージになった要因は、伊賀は徳川方に召し抱えられ、甲賀は信長や秀吉に召し抱えられていたという事があるようです。
■伊賀と甲賀が出てくる漫画やアニメ
・忍者ハットリくん:ハットリくんは伊賀忍者、ライバルのケムマキは甲賀忍者
・バジリスク 〜甲賀忍法帖〜:主人公の甲賀弦之介は甲賀忍者。恋人の朧は伊賀忍者
・銀牙 -流れ星 銀-:主人公側のメンバーである赤目は伊賀忍者。敵役として出てくるのは甲賀忍者
・真田十勇士:猿飛佐助は甲賀忍者。霧隠才蔵は伊賀忍者。
■伊賀忍者と甲賀忍者以外の忍者
・風魔一族:北条氏に仕えた忍者集団で、風魔小太郎が有名
・根来衆 (ねごろしゅう), 雑賀衆 (さいかしゅう):紀伊国の忍者集団で鉄砲の名手としても知られる傭兵集団
・透波 (すっぱ)/黒脛巾組 (くろはばきぐみ):上杉謙信に仕えたとされる忍者集団。
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