メソポタミア文明 シュメール人



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公開日:2020/5/8 , 最終更新日:2021/7/18   

メソポタミア文明は、紀元前約4000年前にチグリス川とユーフラテス川流域(現在のイランの一部)でシュメール人によって起きた文明です。 地域としては大きく北部(アッシリア)と南部(バビロニア)に別れ、南部でシュメール人が文明を築いたものが、北部に広がっていきました。 (中東地域は砂漠が広がっており、いくら河川流域であっても肥沃な大地であるイメージを私としては持っておりませんでしたが、当時は森林が広がっており、森林伐採などで現在の姿となったようです)

メソポタミア文明が終わった時期に明確な定義はなく、シュメール人の後にはアッカドやバビロニアなど様々な国がこの地域を支配してきましたが、シュメール人が作り上げた文明は引き継がれていきます(楔形文字はその一つ)。 メソポタミア文明の終息時期の一つの見解として、BC330にマケドニアのアレキサンドロス3世に征服された時期をもって文明は終息を迎えたといわれています。

なおユダヤ人の祖であるアブラハムは、この地域のウルというところから生まれており、シュメール人との何かしらの関りがある、もしくはユダヤ人の祖先がシュメール人である可能性があるといわれています。

■時代の流れ


■シュメール人について
シュメール人は高い文明を持っていたとされており、以下のような功績があります。

・ 楔形文字の発明
・ 60進数の発明
・ 発見されている最古の神話であるギルガメシュ叙事詩の創作。これはBC900年以降に作られた旧約聖書の、ノアの箱舟の原型になっている可能性がある。

余談ですが、シュメール人は古代宇宙人ではないかという、オカルト説があります。それは、高度な天文学の知識を持っていたという事や、石像や壁画に描かれた人物像が宇宙人(大きな目など)を思わせる事からです。 真偽はともかく、またその説を支持している訳ではないですが、そういった説に私はロマンを感じてしまいます。

■バビロニアについて
新バビロニアの時代に、ユダ王国を滅ぼして多くのユダヤ人をバビロンに連行してきました(バビロン捕囚)。この時に建てられていたジッグラトが、旧約聖書におけるバベルの塔のモデルとなったといわれています(バベルとはバビロンのこと)。 ジッグラトとは神殿を祭るための塔のことで、シュメールの時代からありましたがバビロンの時代にも引き継がれていきました。




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