ウクライナの歴史



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公開日:2022/4/3    

■ウクライナの歴史の流れ
ウクライナはスラブ人が建国したキエフ大公国(キエフ・ルーシ)を祖としており、ロシアやベラルーシも同じ祖としております。



<現在のウクライナになってから>
ウクライナは地理的にEUとロシアの間に位置しており、国内の中でも西側の地域は親欧米派、東側の地域はロシア派の人が多く、大統領選においては親欧米派と親ロシア派の候補の争いが度々起こっています。 2004年の大統領選においては、当初新ロシア派のヤヌーコヴィッチが当選しましたが、不正があったとして大規模なデモと武力衝突がありました。これをオレンジ革命と言います。 最終的に不正が認められ再選挙を行った結果、親欧米派のユシチェンコが当選しました。(しかしユシチェンコは政治の失政により支持率を落とし、2010年には一度は敗ったヤヌーコヴィッチに敗れてしまいます)。

2014年2月には新ロシア派の大統領であるヤヌーコヴィッチを倒そうとする市民のデモと武力衝突が発生、結果ヤヌーコヴィッチは失脚しロシアへ亡命し、親EU派のポロシェンコが大統領になりました。これをマイダン革命と言います。 これをきっかけにロシアがクリミアに侵攻、住民投票の結果9割以上の人がロシアへの編入を賛成(住民投票は不正だったという説もあります)し、クリミアを併合しました。この時ウクライナ東部を守る自営団としてアゾフ連隊が結成され、 その後ウクライナの国家警備隊となりました。このアゾフ連隊は過激な極右勢力で、ネオナチと呼ばれています。そしてこのアゾフ連隊を支援しているのがオリガルヒ(新興財閥)のコロモイスキーや、アメリカの投資家ジョージソロスと言われています。

それ以降ウクライナ東部ではロシア系住民とウクライナ系住民との抗争が続き、ロシア系住民が虐殺されたオデッサ事件などがあります。



<ウクライナとアメリカの関り>
オレンジ革命やマイダン革命、ウクライナとロシアの争乱にはアメリカのネオコンが関与していると言われています。 例えばオレンジ革命時には、アメリカのビクトリア・ヌーランドがクッキーをデモ隊に配っている所が撮影されたり、資金援助したのはアメリカの資産家ジョージソロスであるとされています。ジョージソロスはアゾフ連隊も支援しております。

■ウクライナの地図






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