兼好法師, 徒然草



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公開日:2025/5/12   

■兼好法師とは

兼好法師(1283頃–1350頃) とは、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した人物で、出家前の名は卜部兼好(うらべのかねよし)ともいわれています。 京都の吉田神社の神職を代々務めた卜部氏の一族に生まれ、朝廷に仕える官人として活動していましたが、ある時期に突然官職を辞して出家し、隠棲生活に入りました。

隠居の時期は正確には不明ですが、30代半ばから40代頃とされ、きっかけは親しい人の死や世の無常を感じたこと、または政治や宮廷社会への幻滅だったともいわれています。 出家後は、吉田神社近くの吉田山や双ヶ岡(ならびがおか)など、京都周辺に庵を結んで暮らしました。

その静かな生活の中で1330年頃に書き上げた随筆が『徒然草(つれづれぐさ)』で、人生の無常、風流、処世術などが鋭い感性と深い教養で綴られています。 清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並んで、日本三大随筆の一つとされています。

■徒然草の内容

徒然草は序段から243段から成ります。出だしは以下となります。

つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆく よしなし事を、 そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

(訳)
することがないので、一日中、硯と向かい合って、 心に浮かんでは消えるつまらない事を、 とりとめもなく書いてみると、おかしな気分になってくる。


その他、有名な段や印象に残った段を記します。

<第10段 家居のつきづきしく>

住まいというものは本来、現世の仮の宿に過ぎないとはいえ、住む人にふさわしく、趣のあるものだと心ひかれる。 立派な人が落ち着いて住み慣れた家は、差し込む月明かりさえも心に沁みるように感じられる。 華美ではなくとも、自然の木立や手入れしすぎない庭の草花、そしてさりげなく置かれた古風な道具類などが、しっとりとした風情を醸し出し、奥ゆかしさを感じさせる。

これに対して、技巧を凝らして造られた住まいや、物珍しい道具をずらりと並べ、人工的に整えられた庭などは、かえって不自然で見苦しく、不快感すら与える。 また、そうした家はいつまでも住めるものではなく、火災があれば一瞬で失われるような儚さも感じさせる。 結局のところ、住まいというものは、その人の人柄や生き方を映し出す鏡のようなものである。


<第11段 神無月のころ>

神無月(10月ごろ)、栗栖野という場所を通って、ある山里に分け入っていったところ、遠くに苔むした細い道をたどった先に、ひっそりと住まわれている庵があった。 庵は木の葉に埋もれ、懸樋(かけひ)から滴る雫の音のほかには、まったく物音ひとつしない静けさであった。 仏前の棚には、菊や紅葉が折り散らされており、やはりそこには人が住んでいるのだと思われた。

こんなふうに暮らしているのかと、しみじみ心を打たれて眺めていたところ、庭の向こうに、大きな柑子(こうじ)の木があり、実が枝もたわわになるほど成っていた。 しかし、その木のまわりが厳重に囲われているのを見て、少し興ざめし、「この木がなければ、もっと風情があったのに」と感じたのだった。


<第38段 名利に使はれて>

名誉や利益にとらわれ、心穏やかに過ごす暇もなく一生を苦しむのは、愚かなことである。 財産が多ければ、かえって身を守るのが難しくなる。災いを招き、悩みの元になる。 自分の死後に大量の金を残しても、他人の手をわずらわせるだけだ。

無知な人が喜ぶような楽しみ、たとえば豪華な車や馬、金や宝石の飾りなども、分別ある人にはくだらなく見える。金は山に捨て、宝石は川に投げ捨てるべきで、利を追うのはまことに愚かなことだ。 名声を後世に残したいというのは悪くないが、高い地位や身分を持つことが優れた人物であるとは限らない。 能力のない人でも家柄や時勢によって高位に登り、ぜいたくに暮らすこともある。反対に、賢者や聖人が低い地位のまま世に出ずに終わった例も多い。だから地位ばかりを求めるのもまた愚かである。 本当に大切なのは、知恵と心である。よくよく考えてみれば、名誉を望むというのは、他人から良い評価を得たいということにすぎない。 しかし褒める人もけなす人も、皆いずれこの世から去る。そんな移ろいやすいものに、誰の目を気にして生きるのか。誉れは非難の種にもなり得る。死後に名が残っても、何の得にもならない。それを望むこともまた愚かだ。

ただ、どうしても知恵や賢さを求めたい人のために言うと、知恵があるように見える人には偽りが混じっている。才知があるというのは、欲望が強いということでもある。学んで得た知識は、本当の知恵とはいえない。 では、本当の知恵とは何か。善悪の分別がつくという一点に尽きる。善とは何か? 真にすぐれた人は、知恵もなく、徳もなく、功績もなく、名もない。誰にも知られず、語り継がれることもない。それは徳を隠しているのではなく、そもそも賢さや愚かさ、損得といった境界にいないからである。

名誉や利益を求める迷いの心から見れば、このような考えは理解しがたいかもしれない。しかし、すべてのことは実は無価値であり、語るほどのことでも、願うほどのことでもないのだ。


<第51段 亀山殿の御池に>

亀山殿(後嵯峨上皇か)の御所の池に、大井川の水を引こうとして、大井の土地の者に命じて水車を作らせた。 多くの銭を与えて、何日もかけて作り上げて設置したが、まったく回らなかった。いろいろと修理してみたものの、結局最後まで回らず、無駄に立っているだけのものとなってしまった。

そこで、宇治の里人を呼び寄せて作らせたところ、手際よく水車を作り上げて献上し、それは思った通りに見事に回って、水を汲み上げることができた。 何事によらず、その道に通じている者というのは、まことに貴重な存在である。


<第52段 仁和寺にある法師>

仁和寺にいたある法師が、年をとるまで一度も石清水八幡宮に参拝したことがなかったため、心残りに思い、ある日ふと思い立って、一人で徒歩で参詣した。途中、極楽寺や高良神社などをお参りし、「これが石清水だろう」と思い込み、そのまま帰ってしまった。 そして、後日、仲間に会ってこう言った。「長年思い続けていた願いをようやく果たしました。噂以上に尊く、ありがたいものでした。そういえば、他の参詣者が皆山へ登っていましたが、何かあったのでしょうか。 少し気になりましたが、神社に参るのが本来の目的だと思って、山には登らずに帰ったのです」と。

――どんな些細なことでも、案内役(先達)はいた方がよい、という教訓である。


<第92段 或人、弓射る事を習ふに>

ある人が弓を習っていたとき、二本の矢を手にして的に向かおうとした。 すると師はこう言った。「初心者は、二本の矢を持ってはならない。二本目の矢があると思うと、最初の矢に対して気が緩み、いい加減な気持ちが生まれる。一度一度、ただ一射にすべてを懸けるという覚悟で臨むべきなのだ」と。 たった二本の矢とはいえ、師の前でそのうちの一本を軽んじるなどと思うはずがない。しかし、本人が気づかぬうちに心に怠りがあることを、師は見抜いていた。この教えは、弓に限らずあらゆることに通じるものだ。

道を学ぶ者は、夕方には「また明日の朝に」と考え、朝には「また夕方に」と思って、繰り返し丁寧に修行しようとする。 ましてや、一瞬の中にさえ怠け心があることに気づけないのではないか。なぜ、ただ今この瞬間に、ただちに行うことがそれほどまでに難しいのか。


<第109段 高名の木登り>

木登りの名人と評判だった男がいて、あるとき人に命じて高い木に登らせ、梢(こずえ)を切らせていた。その人が高いところで作業をしていてとても危なそうに見えたときには、名人は何も言わなかった。 ところが、その人が降りてきて、軒の高さくらいまで下りてきたときに、「油断するな、気をつけて降りろ」と声をかけた。

それを聞いて、そばにいた者が「このくらいの高さなら、飛び降りることだってできそうなのに、どうしてそんな注意をするのか」と尋ねた。すると名人はこう答えた。 「それが大事なのだ。高くて目がくらみ、枝も不安定なところでは、自分自身も恐れているので注意深くなるから、あえて声をかける必要はない。しかし、安心した場所に来ると、かえって油断して事故を起こしやすいものなのだ」と。 身分の低い一介の職人ではあったが、その言葉は聖人の教えにもかなっているように思われた。蹴鞠(けまり)でも、難しいところを蹴り終えたあと、安心したとたんに油断して落としてしまうということがあるのではないだろうか。


<第117段 友とするに悪き者>

友として付き合うのにふさわしくない人は七種類いる。 一つ目は、身分が高くて偉い人。二つ目は、年若く未熟な人。 三つ目は、健康すぎて体力のある人。四つ目は、酒好きな人。 五つ目は、血気盛んな武士。六つ目は、嘘をつく人。七つ目は、欲の深い人。

反対に、良い友とは三種類である。 一つ目は、物を与えてくれる友。二つ目は、医者。三つ目は、知恵のある友。


<第137段 花は盛りに>

花は満開の時だけ、月は欠けのない時だけが美しいとは限らない。雨の日に月を恋しく思い、外に出られず春の行方を知らないことにも、しみじみとした趣がある。 今まさに咲こうとする花や、散ってしまった後の庭もまた味わい深い。和歌でも、花を見逃したことや、行けなかったことさえも風情として詠まれる。 物事は、はじまりと終わりの両方に面白みがある。恋も、実際に会うだけでなく、会えない時間の切なさや、昔を懐かしむ気持ちにこそ、真の情趣がある。満月を遠くから眺めるよりも、夜明け近く、山の木々の間からちらりと見える月の光の方が、かえって心に深く沁みる。

本当に風雅な人は、花や月をただ目で見るのではなく、心で味わう。春を思って家にいても、月の夜を閨で感じるのが、上品な楽しみ方である。 対して、地方の者は何事も派手に楽しもうとし、花見でも騒がしく振る舞い、時に木を折るような無粋なことさえする。 祭の見物でも、風流な人は落ち着いているが、そうでない人は騒ぎ立て、見逃すまいと必死になる。 世の中の人の数も案外少なく、知人たちもいつか皆いなくなる。毎日誰かが死に、棺を作る間もないほどで、死は年齢や体力に関係なく、突然やってくる。

今まで生きてこられたのは不思議な幸運であり、油断してはならない。双六の「継子立(ままこだて)」のように、次に誰が取られるか分からないが、いずれ皆死に至る。 戦に出る兵士のように、死を覚悟して日々を過ごすのが本来の姿である。山奥に隠れていても、死という敵は容赦なくやって来るのだ。


<第141段 悲田院尭蓮上人は>

悲田院尭蓮上人は、俗名は三浦の某という者で、並ぶ者のない武士だったと言われています。 故郷の人が来て話をするとき、「東国の人の言うことは信用できるが、都の人は言葉だけは上手く、実がない」と言ったところ、聖はこう答えました。 「それはあなたがそう思うのも無理はないでしょうが、私は都に長く住んでいて、よく観察してきましたが、人々の心が劣っているとは思いません。 むしろ、皆、心が優しく、情に深いからこそ、人が言うことに対して、否定することができず、言葉を放たないのです。 嘘をつこうとは思っていませんが、困窮している人々の中には、実現できないことが多く、結果的に自分の意図がうまく通らないこともあります。 東国の人々は私の故郷の人たちですが、実際には心が冷たく、情けに欠け、偏って優れたものがあるだけで、最初から「いやだ」と言って止まることはありません。 賑やかで豊かなところでは、人々が頼りにされるのも当然です。」と説明されたのです。 この聖人は、声が歪んで荒々しく、聖教の深い教えを理解していないのではないかと思っていたのですが、この一言でその考えが変わり、心から感心しました。たくさんの人々の中で、寺を住職として治めることができるのも、このように心が柔らかく、深いところがあったからだと感じました。


<第150段 能をつかんとする人>

能(芸事)を身につけようとする人の中には、「うまくならないうちは中途半端に人に見せるまい。内々でしっかり習得し、世に出たときにこそ、奥ゆかしさが引き立つものだ」などと言う者がいるが、こうした人に限って、一つの芸すら身につけられない。 まだ未熟で不完全なうちから、上達している人たちの中に交じり、嘲られたり笑われたりしても恥じることなく、平然と続けるような人は、生まれつき才能がなくても、道に外れず、軽々しくもせず、年を重ねていけば、器用にこなすだけの者よりも、最後には優れた技量に達し、徳も備わって人に認められ、比類ない名声を得るのである。

どんな分野の達人でも、最初は未熟さを指摘されたり、酷い欠点があったものだ。しかし、その人が道の規律を守り、それを重んじて奔放に振る舞わなかったならば、やがては世の師匠と仰がれ、万人の手本となる。これはどんな道でも変わらぬ道理である。


<第242段 とこしなへに違順に使はる>

人が常に逆境・順境に左右されるのは、苦を免れ楽を得ようとするためである。 楽とは、好きで愛することを意味し、これを求めることに終わりはない。 楽を求める場所は、まず名声である。名には二種類がある。 一つは行いや業績に対する評価、もう一つは才能や技芸に対する評価である。次に欲望があり、その中でも色欲、さらに味覚を楽しむ欲がある。 すべての願いは、この三つに勝るものはない。これらは、物事を逆さまに見る誤った考えから生じたもので、その結果としていくつかの煩悩が生まれる。欲を求めない方が、結果的により良いのである。





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