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公開日:2020/5/9 , 最終更新日:2022/10/24
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■日ユ同祖論とは
日ユ同祖論とは、日本人の祖先はBC700年代にイスラエル王国が滅びた際に日本に渡ったユダヤ人であるという説です。
その根拠は次に説明する様に古代ユダヤ人と日本人の文化に共通点が多いからです。私の考えは、確かにユダヤ人は弥生時代以降に日本に来ていたのは確かだが、
ユダヤ人が日本を征服した訳ではなく、日本の文化に影響を与えたという事だと思います。最終的にユダヤ人は日本に同化したと考えています。
<日本と古代ユダヤの文化の共通点>
天皇家の紋章である菊花紋や六芒星、神輿、山伏、祇園祭、鳥居など
<ヘブライ語と日本語の共通点>
帝(みかど)-ミガドル(高貴な方)や、憎む-ニクム(憎む)など。エルサレムはエル(都)、シャローム(平安)となり、平安京はヘブライ語でエルサレムとなる。
また、皇(すめら)はシュメールからきているのではないかという説もあります。シュメール人はユダヤ人の祖先であるとも言われています。
一般的に、異なる言語であっても似たような単語がある事はよくある事(300語程度は似ている)ですが、ヘブライ語と日本語の共通性は他言語よりはるかに高いと言われています(3000語も似ている)。
<ユダヤ人を模した埴輪がある>
主に関東地方で発掘された埴輪には、以下の様にユダヤ人にそっくりな埴輪があります。
wikimedia commonsより。
<日本人とユダヤ人のDNA>
日本人のY染色体DNAのハプログループにはD型があるのが特徴的ですが、ユダヤ人にはD型は含まれず、E型が多く含まれます。
この事から、日本人とユダヤ人とはDNAが異なるという考えもあれば、もともとD型もE型も同じDE型から分岐したのだから、DNAの系統は近いという考えもあります。
■ユダヤ人が日本人の祖先ではないと考える根拠
上述したとおり、ユダヤ人が日本に来て影響を与えたのは確かと思いますが、日本人の先祖がユダヤ人という訳ではないと私は考えます。
一番の理由は、ユダヤ教と日本人の宗教観が大きく異なるという事です。一神教は基本的にほかの宗教を認めないという考えのため、本当にユダヤ人が先祖であるならば日本は一神教になっていたでしょう。
しかしそうはなっておらず、多神教である日本人は様々な文化を受け入れ日本流にして土着化させてきた結果、日本に来たユダヤ人をも同化させてしまったのだと考えます。
つまり、あくまでも日本という文化の中にユダヤが入り込んだという見方ができます。
<徐福について>
日ユ同祖論者の中には、徐福が神武天皇であると考える人もおり、古事記にも書かれている神武天皇の東遷は実は徐福が中国からきて日本を征服していく事を表しているという説があります (徐福はジョセフが変化した)。
徐福は秦の始皇帝時代の人物なので、当時の日本の情勢に照らし合わせると、神武天皇の即位年代(BC660年 or AC0年頃)と年号が合いません。従って徐福が天皇家の祖先に当てはまる可能性は少ないと思います。
<秦氏について>
日本書紀によると秦氏は百済にいた弓月君という一族ですが、ユダヤ人であったと考えられています。
その根拠は、秦氏は絹を取り扱っていたこと(当時シルクロードでユダヤ人は絹商人であった)、平安京の設立に尽力したこと(平安京はヘブライ語でエルサレムという)が挙げられます。
また新撰姓氏録には、秦氏は秦の始皇帝の末裔で283年に百済から日本に帰化したとされる、弓月君が祖であると記載されていますが、秦の始皇帝がユダヤ人であった可能性があるとされてます。
秦の始皇帝は「鼻が高く目が長く、摯膺(くまたか)のように胸が突き出て、豺(さい)のような声をしている」と漢民族離れした容姿を持っています。
秦氏もまた日本の文化に大きな影響を与えた一族ですが、日本を支配したのではなく、日本に同化したものと考えられます。なお応神天皇を祀る八幡神社は秦氏が作り上げたと考えらえています (八幡=ヤハタ)。
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