『日本建国の謎に迫る』の感想



読んだ本のこと

情報科学:00

ジャーナリズム:00

哲学:10

歴史:20

社会科学:30

自然科学:40

技術,工学:50

文学:90

公開日:2021/8/18    

■本の情報 
<作者> 中杉 弘
<発行日> 2014年4月 (株式会社風塵社)

■概要 ネタバレを含みます。緑文字は私の意見、補足になります。
いきなり結論となりますが、神武天皇は秦からやって来た徐福で、徐福はユダヤ人であるという事が述べられています。 つまり著者はいわゆる日ユ同祖論支持者です。

著者の主張で、特に私が印象に残ったものを以下に記載します。

<縄文人の信仰>
・ 縄文時代はヘビへの信仰があり、縄文土器の模様やしめ縄はヘビを模している。(日ユ同祖論とは直接は関係ない)

<秦の始皇帝はユダヤ人>
その根拠は、
・ 始皇帝の外見は「鼻が高く目が長く、摯膺(くまたか)のように胸が突き出て、豺(さい)のような声をしている」と漢民族離れした容姿 ・ 秦の支配地域の西安はシルクロードに直結している。そこからユダヤ人の「失われた十支族」が流入した

また徐福もユダヤ人で「ジョセフ」からきている。

<始皇帝のもとにいた徐福が日本を制圧した>
始皇帝の命令か徐福の提言かは定かではないが、徐福が約10万の軍勢を率いて日本列島を征服した。 日本に渡った名目は、不老不死の薬を蓬莱山に求めて、とのこと。しかし本当の目的は日本の制服であった。

徐福はまず淡路島に上陸して足固めをし、その後四国に日本の原型となる最初の国家を創った。その後は九州の東側に渡り、中国地方を回り、和歌山県から奈良盆地に入って大和朝廷を起こす。 これは古事記に書かれている国造りのとおりである。徐福は神武天皇となり、神武天皇の東遷は徐福の九州からの移動のことを表している。

大仙陵古墳は、実は神武天皇の墓である。それは神武天皇の墓より後の天皇が、それより大きな墓を作ることは考えられないからである。また大仙陵古墳のような巨大な墓を作ることができたのは、 ユダヤ人はピラミッドのことをよく知っていたからというのと、ピラミッドを作る土木技術を持っていたからである。

<日本に残るユダヤの痕跡>
・ 天皇家の紋章である菊花紋や六芒星、新東の神輿、山伏、祇園祭などが、ユダヤのそれと共通する。
・ ヘブライ語と日本語にいくつもの共通した単語がある。

<日本は多神教、ユダヤ教は一神教であることの答え>
一神教は他の宗教は絶対認めないという性質を持っているので、ユダヤ人が日本を征服したのならば、日本も一神教でないとおかしいと思いますが、 その理由は以下であると述べております。

・ 日本は多神教に見えるが実は一神教である。海の神、山の神とたくさんの神がいるが、実は海を作った神、山を作った神ということで、全部ひとりの神である。

・ 聖書が伝わっていないのは、日本が始皇帝から派遣された人たちの国であるために他国から支配されることを恐れ、聖書をすべて燃やして自分たちのルーツを隠したため。

・ 聖書は残っていなくても、その教えはしっかり日本に根付いている。例えば「モーゼの十戒」にもある、偶像崇拝禁止、神の名をみだりに唱えない、殺してはいけない、泥棒してはいけない、嘘をついてはいけない。など。

・ 一神教が他民族、異教徒に非寛容な選民意識が生じたのは、バビロニアに征服された時にバビロニア・タルムードが浸透したから。日本人は縄文時代の時から、争いをせず、人々に寛容な精神を持っていたため、ユダヤ教の教えと日本民族との親和性が高かった。

■感想
日ユ同祖論についてのわたくしの見解はこちらを参照ください。著者の見解に対する感想は、仮説としては非常に興味深いものであると感じ、 もしかしたら本当かもと思わせる説得力が随所にあります。しかし物証がなく、仮説の域を出ない推論だと思いました。また著者は「○○で間違いありません」「○○だったのです」という言葉を多用し、決めつけのような説明が目立ったのが、どうかなと思いました。

本書の中で特に根拠が乏しい、あるいは明確に説明されていない部分について以下に示します。

・ 10万人の兵を率いてきたという、兵士の数の根拠が乏しい。
・ 古事記に基づいた国造りの流れについて、徐福であるという物証がない。徐福じゃなくても話が成り立つ。
・ 日本は一神教であるという根拠、聖書を燃やしたという根拠にはやはり無理がある。




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