伊坂幸太郎著『フーガはユーガ』の感想



読んだ本のこと

情報科学:00

ジャーナリズム:00

哲学:10

歴史:20

社会科学:30

自然科学:40

技術,工学:50

産業:60

文学:90

公開日:2020/7/31    

■本の情報
<作者> 伊坂幸太郎
<発行日> 2018年11月 (実業之日本社)

■感想ネタバレを含みます。
<二人の能力>
二人が入れ替わる能力は「一体何の役に立つだろう?」と読んだ時真っ先に思いました。なぜなら、双方の入れ違いが無い瞬間移動だけなら窮地から脱出するためには非常に役に立つ能力ですが、 この能力は窮地の状況に一方の相手を差し出すことになるので、窮地を脱出する根本的な解決にならないと考えたからです。しかし読み進めていくにつれ、その窮地に差し出すのがヒーロー(風我)であるならば、 この能力ほど物語を引き立てるのに絶妙な能力はないなと思いました。こういう設定を作るのが伊坂幸太郎さんは非常にうまいです。

<タイトルはなぜフーガが先?>
この物語の主人公は優我と風我と思われますが、敢えてどちらが主人公かといったら優我だと私は思います。ヒーローは風我ですが。

※ ちなみに主人公の英訳がヒーローなので、主人公=ヒーローかと思うかもしれませんが、私は主人公とヒーローは異なるものだと思っています。それは東洋的な見方と西洋的な見方の違いで、 主にアジア人は、スーパーマンの様に最も活躍する人物が、必ずしも話の主役ではないという感覚はよくわかると思います。一方欧米人は、自分が最も活躍しそして話の主役になるのが当たり前という考え方が強いので、 主人公=ヒーローなのです。

閑話休題。

なぜタイトルに主人公であるユーガが先に来ないのか。語呂の良さや、複数の意味に捉えるためには「フーガはユーガ」が良いのは解りますが、それならなぜ主人公(兄)をフーガという名前にしなかったのかという疑問が湧きます。

私の考えは、フーガはユーガとは、主人公である優我の視点での言葉なのだと思ってます。作中にも「俺の弟は、俺よりも結構、元気だよ」とあったように、優我視点で「風我は俺自身でもあるんだよ(あるいは、風我は優雅である)」と言っている。こう思ってます。

<重力ピエロに似ている>
絆の深い兄弟、兄が頭脳派で弟が肉体派、心に深い傷を負っている、その傷の原因を断ち切る事で物語の終焉を迎える。という点が非常に似ていると感じました。 また悪人の残虐性を表現するのに、女性に傷を負わせるという表現を、本書や重力ピエロに限らず作者はよく使いますが、その表現は私はあまり好きではありません。

<ワタボコリが助けに来ない方が優我は助かった説>
ワタボコリが助けに来た方が物語としては感動的になりましたが、ワタボコリが来ずにそのまま優我と風我が入れ替わる時間が来れば、優我は新幹線に移動することになるので、命は助かりました。 ただし頭はビニールにくるまれて、両手を後ろで粘着テープでぐるぐる巻きにされているので、発見者にはなんと説明したらよいのか悩ましい事になると思いますが。。

またワタボコリはセキュリティに関する仕事に携わっているのだから、通報システムがあること位は容易に想像がついたと思うのですが、あまりにも警戒しなさすぎな行動は、物語を収束させたいがためのご都合的な展開と感じてしまいました。

<他作品とのリンク>
① 公園にいた双子の少年の台詞に「ユーガって伊藤さんが話してた案山子の名前と似ている」(P195)とあります。これは"オーデュボンの祈り"に出てくる、伊藤と案山子のユーゴのこと。

② ボウリング場にいた隻腕ボーラー(P226)は、"砂漠"に出てきた鳥井のこと。

<ネット上の解説サイトを見て>
ネット上の読んだ人の感想や解説サイトなどを見て回りましたが、以外にも多かったのは風我が主人公的な扱いとして説明されている。 私はあくまでも優我が主人公、風我はヒーローの位置づけでしたので、ここら辺に受け止め方に差があると思いました。

風我が兄として説明されていたり、優雅、風雅などと記述している所などありましたが、そこはきちんと読んでいないと思われます。




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情報科学:00

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