【まとめ】 脳はなぜ「心」を作ったのか, 前野隆司 著



読んだ本のこと

情報科学:00

ジャーナリズム:00

哲学:10

歴史:20

社会科学:30

自然科学:40

技術,工学:50

産業:60

文学:90

公開日:2025/9/5    

■本、著者の情報
<作者>前野隆司
<出版社>株式会社 筑摩書房
<出版年>2010年11月

■目次

プロローグ 死んだら心はどうなるんだろう

第1章「心」――もうわかっていることと、まだわからないこと
(1) 心の五つの働き
(2) 意識の三つの謎
(3) (私)と「私」と「自分」の関係
(4) 脳の無意識を担う「小びと」たち
(5) 「私は生きているんだ!」という質感

第2章「私」は受動的――新しいバラダイム
(1) からだのどこまでが自分なのか?
(2) 脳=「私」、ではない?
(3) 目で見るのではなく、脳を見ている「私」 なぜ「赤いリンゴ」とわかるのか?
(4) 「私」ではなく、小びとたちが考える
(5) 喜怒哀楽も、小びとのいたずら
(6) 「意図」も主体的ではない?
(7) 指を動かし始めたあとで、動かそうと意図する「私」
(8) 人は何のために錯覚するのか?
(9) 心の地動説――地球は太陽にしたがい、「私」は「自分」にしたがう
(10) 川の下流にいる「私」

第3章 人の心のたねあかし意識の三つの謎を解く
(1)「私」は心を結びつけてはいない
(2) 「私」は何のために存在するのか?
(3) 自分のコピーを作ると(私)はどうなる?
(4) 個性や創造性は心のどこが担うのか?
(5) 心の質感は何のために存在するのか?
(6) 心の質感はどのように表現されるのか?
(7) 心の質感はどのように感じられるのか?

第4章 心の過去と未来―――昆虫からロボットまで
(1) 動物は心を持つか?
(2) 昆虫の気持ちになってみると
(3) 夢,催眠、超常現象・神秘体験の意味
(4) 東洋的な世界観と受動的な「私」
(5) 永遠の命は可能か?
(6) 心を持ったロボットは作れる
(7) 人も動物もロボットも平等な社会

第5章 補遺――「小びと」たちのしくみ
(1) コンピュータと脳は同じか?
(2) ニューラルネットワークは万能コンピュータ?
(3) フィードバックとフィードフォワード
(4) フィードフォワードモデルの学び方
(5) 順モデルによる脳内イメージと思考

エピローグ 〈私)は死なないんだ

■著者の主張

<受動意識仮説>
リベットの実験を根拠に、私たちが「自分は自分である」と感じる意識 (クオリア)は、自分自身に宿っているという考えは錯覚であると著者は指摘する。 実際には、私たちは無個性であり、脳内の「小びと」(ニューラルネットワーク)が作り出した産物を、ただ観察しているにすぎない。この考えを著者は「受動意識仮説」と呼んでいる。

考えてみると、無意識下では脳内でさまざまな処理が行われており、そのすべてを意識が指示しているわけではない。むしろ、無意識で処理された結果を意識が観測するという仕組みの方が、より理にかなっていると言える。

<なぜ意識があるのか>
ではなぜ意識というものが存在するのだろうか。単に観測するだけなら意識は不要に思えるかもしれない。 著者によれば、意識の役割はエピソード記憶を形成・保持することにある。無意識下で生じる途中結果は煩雑で断片的なため、記憶には適していない。 必要なのは複数の出力が統合された最終的な結果である。意識はそれを確認し、まとまりある情報として記憶に残す役割を担っているのである。

<人間が死を恐れる理由>
人間が死を恐れる理由は、自分の意識が消滅してしまうことへの不安にある。しかし、意識とは自分が統合しているという錯覚にすぎず、実際には無意識下で処理された情報を観測しているだけの役割しか持たない。 そうであるならば、死をそれほど恐れる必要はないのではないか。私たちが失うと恐れていた意識は、実のところちっぽけで些細な存在にすぎないからである。

さらに言えば、私と同じものは何十億人もの人々の心の中に存在している。そう考えると、意識を失うことを恐れる必要はない。むしろ私の意識のネットワークは世界中の人々とつながっており、時間と空間を超えて無数に散りばめられ、永遠に続いていくといえる。 このように考えるなら、永遠の命は決して不可能ではない。私の命は形を変えて、確実に受け継がれていくのである。

以下が著者が考える心と世界の繋がりを表した図です。



■感想

リベットの実験について、著者は自身の考察を交えて説明している。意識は脳内の出力結果を観測するにすぎないという説自体は以前からあったが、その理由をわかりやすく示してくれた点は良かった。私も納得できた。 しかし、そこから「私という存在は意思決定に関与できず、無個性で取るに足らない存在である」という結論へと結びつける部分については、納得しがたい。

なぜなら、著者が主張する「意識はエピソード記憶を形成するために存在する」という説が仮に正しいとすれば、エピソード記憶はニューラルネットワークへの入力となり、フィードバックループを構成すると考えるのが自然で、 その場合、エピソード記憶を生み出す意識は、ニューラルネットワークの出力結果に対して極めて重要な役割を担っているはずだからである。

また著者は、意識とニューラルネットワークの「小びと」とを分けて考えているようだが、私の考えでは両者を合わせて「私」と捉えるべきであり、それを「無個性なのだから取るに足らない存在」とみなすことはできない。 さらに著者は「すべての人が同じ心の構造を持つのだから互いに繋がっている」と論を展開するが、その部分には飛躍があるように思われる。 私自身も「命は世界と繋がり、世代を超えて受け継がれていく」という考えを持っているが、それは著者の主張する理由によるものではない。

以下が私と著者の考える意識と無意識の関係性の違いを表した図です。






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