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■本、著者の情報
<作者>プラトン, 中澤務 訳
<原題>Gorgias
<発行日>2022年5月 (株) 光文社
■あらすじ
BC5世紀古代ギリシャ。アテネのとある会場で開かれたゴルギアスを囲む会場にソクラテスたちが遅れて現れる。その後、ゴルギアス、その弟子のポロス、カリクレスとの対話が始まる。
<登場人物>
・ソクラテス:この時50歳を過ぎたくらい
・カイレフォン:ソクラテスの古くからの親友
・ゴルギアス:シシリー(シチリア)島レオンティノイ出身の高名な弁論術教師。70歳近い
・ポロス:シシリー島アクラガス出身の若い弁論教師。ゴルギアスの弟子
・カリクレス:アテネの名家出身。若手政治家
<弁論術とは>
弁論術とは、言論によって正しいことと不正なことについて人々を説得できる力のこと。この力を持てば人々を支配できるとゴルギアスは言う。
弁論によって得られるのは信念であり、知識は得ることはできない。弁論は、様々な技法を駆使し大衆に正しいと信じ込ませることであると、ゴルギアスは考える。
一方、弁論術は不正なこと(正しくない事を正しいと信じ込ませること)に使われる場合もあるという。
<技術と追従>
魂と体を優れたものにするものを技術といい、技術の見せかけを行って善ではなく快いことを目指すことを追従という。ソクラテスはこの追従はみにくいものであると考える。
<不正されることと不正すること、どちらが悪いのか>
ここでの悪は、道徳的な意味での悪ではなく、自分の損害になることを意味する。ポロスは不正"される"ことの方が悪いとし、ソクラテスは不正"する"ことの方が悪いとする。
ソクラテスの考えるその理由は、不正は魂にとって悪いことであり、不正をしたにもかかわらず罰を受けないのは、悪しき魂を矯正することなくみにくい状態のままでい続けることになるからである。
<善いことと、快いこと>
善いことと快いことは別のものである。なぜなら善いこととと善くないことは同時に存在しえないが、快いことと快くないことは同時に存在するからである。
例えば、喉が渇いている時を快くないこととすると、その時に水を飲むと快い状態になる。つまり快くないことと快い状態が同時に存在することになる。
そして善と快を比べた時に、善の方がまさっており、すべての行為は善のためになされるべきであり、快いものに価値があるのはそれが善をもたらす限りにおいてである。
そして徳こそが究極の善であるとソクラテスは考える。徳とは、魂に作りだされる秩序であり、魂の調和である。魂の調和は、節度、正義、敬虔、勇気によってもたらされる。
<死後の世界>
ギリシャ神話において、死後の世界では魂の裁判が行われるという。そこで不正な魂は牢獄の中で永遠に重い刑罰を受けるという、ソクラテスはこのことを強く信じている。
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