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■本、著者の情報
<作者>プラトン, 中澤務 訳
<原題>Protagoras
<発行日>2010年12月 (株) 光文社
■あらすじ
BC5世紀古代ギリシャ。ソクラテスは、お金を払ってソフィストにしてもらいたいと考えるヒポクラテスに誘われ、ちょうどアテネのカリアス邸に滞在中のプロタゴラスのもとに訪れた時の話。
<登場人物>
・ソクラテス:この時36歳くらい
・プロタゴラス:ソフィストの重鎮。アブデラ出身で60歳近い。ギリシャ中に名声が轟いている
・ヒッピアス:エリス出身のソフィスト。ソクラテスと同世代
・プロディコス:ケオス島イウリス出身のソフィストで、言葉の分析に長ける。ソクラテスと同世代
・ヒポクラテス:プロタゴラスへの弟子入りを切望するアテネの青年。裕福なアポロドロス家の息子
・カリアス:アテネの大富豪の息子。ソフィストたちの熱烈な庇護者。20代半ば。
・アルキビアデス:17歳くらいの美少年。ソクラテスをはじめ、多くの崇拝者を集めている。後に政治家となる
<徳(アレテー)は人に教えることができるのか>
ソクラテスは「徳(アレテー)は人に教えることができるとは思えない。その理由の一つに、父親が優れた徳を持つ一方その息子が父親の様な徳を持たない場合があるから」と考えており、
プロタゴラスにその疑問を投げかける。
プロタゴラスは「不正をした人を罰するのは、改心させ再び不正をしないようにするためである。このような考えを持っている以上、人はアレテーを教育できると考えている筈」とし、
更に「父親は優れているのに、その息子の多くがつまらない人間になってしまうのは、笛吹の父親の息子が必ずしも笛を吹くのがうまい訳ではない様に、自身の持っている才能が影響しているからだ」と述べる。
ソクラテスはプロタゴラスの主張を称賛するも、変化球の質問として「知恵、節度、勇気、正義、敬虔などの徳は一体どんなものか」という質問を投げかけ、プロタゴラスを論駁する。
また「目先の快いことに支配されて、悪いと分かっているのに、それでもしてしまうのはなぜか」という疑問についても対話を重ね、
その理由は、快いことと苦しいことの量を正しく計算する「計量の技術」が不足しており、それは無知によって引き起こされているのであり、知恵、節度、勇気、正義、敬虔、というアレテーの本質は知識であるという結論に至る
(なおソクラテスは、快いことと善いこととは別ものであると他の作品では述べており、何故ここでは快楽主義的な考え方を軸に説明がされていったのかは謎である)。
しかしそうすると、知識は教えることができるので、アレテーは教えることができるということになり、プロタゴラスの考えが正しいことになる。
ソクラテスは、この結論のどこかに間違いがあるのではないかと考え、もう一度徳とは何かから考えようとプロタゴラスに提案するが、プロタゴラスは別の用事があるためそれはできないとし、徳とは何かの結論が出ぬまま対話は終了する。
<プロタゴラスが教えること>
ソクラテスは「あなたと付き合うと、私がどんな点でより優れた人間となり、何において進歩すると考えているのか」と尋ね、
プロタゴラスは「たくみに策を練る力だ。これを使えば、国の事を行うにも論じるにも、最も力のある者になれる」と答える。
プロタゴラスの述べることは、いわゆる弁論術と呼ばれ、ソクラテスはプラトンの他の書においても弁論術を痛烈に批判している。
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