■本、著者の情報
<作者>プラトン, 中澤務 訳
<原題>Symposium
<発行日>2013年9月 (株) 光文社
■あらすじ 緑字が私の補足です。
BC5世紀古代ギリシャ。アテネのアガトン邸で催された饗宴(シュンポシオン,共に酒を飲むという意味を持ち、シンポジウムの語源でもある)の出来事を、アリストデモスから聞いた話としてアポロドロスが友人に語る形で展開される。
饗宴はアンドロンと呼ばれる男性専用の部屋で行われ、クリネという小ぶりのベッドに寝そべり、以下順番でエロスについての賛美が語られていく。
<登場人物>
<饗宴で話した人 (話した人順)>
・パイドロス:弁論術に関心を寄せるアテネの若者。20代後半
・パウサニアス:アガトンの恋人。ソクラテスと同年代
・エリュクシマコス:アテネの医師。パイドロスの恋人。30代前半
・アリストファネス:アテネの喜劇詩人。30代半ば
・アガトン:アテネの悲劇詩人。饗宴の主催者。30歳くらい
・ソクラテス:この時53歳
・アルキビアデス:アテネの政治家。ソクラテスを慕っている
<その他登場人物>
・アポロドロス:ソクラテスの弟子。この物語の語り手
・アリストデモス:ソクラテスの弟子。饗宴の様子をアポロドロスに伝えた
・ディオティマ:ソクラテスにエロスの道を伝授したマンティネイアの女性。おそらく架空の人物
■エロスとは
エロスとは、ギリシャ神話に登場する最も古い神の一人で、カオスから生まれたとされています。
しかし時代が下るに従い、アフロディーテとアレスの子の若い神と見なされ、古代ローマ時代においてはエロスはクピド(英語でキューピッド)と呼ばれ、翼と弓矢を持ち矢の力で人を恋に堕とす美しい少年としてイメージされます。
この時代のエロスという言葉としての意味は、自分の中に満たされていないものを求めようとする欲求のことを意味します。ソクラテスはエロスの正体について、ディオティマから教わった事として次の様に説明します。
<エロスの正体>
・まず第一にエロスは神ではないという。何故ならエロスとは、自分に欠けた美して善いものを求めるのだから、その時点で不完全な存在であるため。
・エロスとは、善いもの/美しいものを永遠に自分のものにすることを求めることである。そして美しくて善いものの所有者を幸福といい、幸福になることを人間は求めている。
・エロスがその様なものだとすると、どんなやり方でその対象(幸福)を追い求めるのか。どんなことを一生懸命行えばエロスだと言えるのか。それは、美しいものの中で子を宿すことである。そして体として子を宿す場合でも、心に子を宿す場合にも同様である。
・死を逃れられない生き物は、この営みによって不死にあずかることができる。つまり、子を残したい欲求は不死への憧れからきている。同様に、自分の名誉を後世に残したいと思う欲求についても、不死への憧れからきている。このことからもエロスは不死をも求めていると考える事もできる。
・子を守るために最も強い動物と闘って死ぬことも、自らが飢えることも厭わない。一方人は、名を上げて不死なる栄誉を永遠に手に入れるため、時には子供のためよりもはるかに熱心に、名誉のために危険を冒し、金を使い、あらゆる苦難に耐え、死をも厭わぬ。
アキレウスはパトクロスの後を追って死んだ例の様に、我々は彼らの勇気の記憶をいつまでも持ち続けているが、自分の勇気がその様に永遠の記憶として生き残ると彼らが信じなかったら、はたして彼らはそんなことをしたであろうか。いや、そんなはずはない。
滅び去ることの無い徳と、このような輝く名誉を求めあらゆる人があらゆる努力をしているのだと思う。
<美の梯子>
上記のことをディオティマが説明した後、エロスの道の究極の奥義を語ります。これは「美の梯子」と言われる有名なくだりであり、プラトンのイデア論の原形となります。内容は次のとおり。
・若い時には美しい体に心を向かわせるが、次第にあらゆる体における美しさは同一と考えるようになる。そして全ての美しい体を愛する者となり、一つの体への執着から解放され、それを軽蔑してつまらぬことと見なすようになる。
・その後、心の美しさの方が体の美しさよりも尊いと考えるようになる。心が優れていれば、その体があまり美しくなかったとしても、その人を愛していつくしむようになる。
・人間の振る舞いに続き知識に心を向け、知識の美しさを見ることになり、ついにある知識を手にするに至る。
第一に、その美は永遠であり生じたり消えたりすることもなければ、増えたり減ったりすることもない。第二に、ある見方では美しいが別の見方では醜いとか、ある時には美しいが別の時には醜いとか、あるものと比較すると美しいが別のものと比較すると醜いと言ったものではない。
・その美は他のなにものにも依存することなく独立しており、常にただ一つの姿で存在している。
・この美の姿が見え始めると目的にたどり着いたも同然。エロスの道を正しく進むとか、誰かによって導かれるというのはこのようなことを指す。
すなわち様々な美しいものから出発し、かの美を目指してたゆまぬ上昇をしていくという事なのだ。その姿はさながら梯子を使って登る者のようだ。
・人間が生きるに値するものになるなら、それは美そのものを観ている段階においてなのだ。そのものは真実に触れているから真実の徳を生み出すことが出来る。そして真実の徳を生み出して育むことにより、神に愛されるものとなり、不死なる存在にすらなれるのだ。
■ソクラテスの逸話
・若きアルキビアデスから愛する事を求められても、ソクラテスはそれには応じなかった。ソクラテスは相手の体が美しいかどうか、裕福かどうか、あるいは大衆に称賛されるような評判を持っているかどうかなど全く気にもとめず、それどころかそんなことは軽蔑している。
・ソクラテスの忍耐力は他の全ての人を凌ぐものだった。戦争の遠征時の、食糧不足や冬の寒さに耐える忍耐力はすさまじく、例えば他の者が大量の衣服を着こむくらい寒い時でも、ソクラテスはいつもどおりの服装で出ていき、氷の張った地面の上を裸足で、しかも履き物をはいた人たちよりも楽々と歩いていった。
・一度思索を始めると、立ったままでもずっと考え続ける。ある日の朝、ソクラテスは朝から思索を始め、昼を過ぎ、夜が明けるまでたち続けていた。そして太陽に祈りを捧げると立ち去って行った。
・この饗宴がひと段落した後、アガトンとアリストファネスとソクラテスだけが朝まで酒を飲んで議論していた。アガトンとアリストファネスが眠りに落ちると、ソクラテスは立ち上がり出ていった。
ソクラテスはリュケイオンで体を清めるといつものように、その日の残りの時を過ごした。そしてそんなふうに過ごした後、夕方になると家に帰り、眠りについた。
■その他印象に残ったこと
・愚か者は、美しくも善くもなく賢くもないくせに、自分はそれで十分だと思い込む。自分には何かが欠けているとは夢にも思わないような人が、自分には必要ないと思っているものを欲しがることなどない。
・知恵が無いが知恵を愛し求める者は、知恵ある者と愚か者の間の存在である。
・愛する人に自分が恥ずべき状態に置かれているのを見られるのを最も恥ずかしいと感じる。もし愛する人と愛される少年から成る国や軍隊がうまれたら、その組織は最も優れた組織となる。
愛する人にとって、自分が隊列から逃げ出したり、武器を投げ出したりする姿を一番見られたくない相手は、誰よりもまず愛する少年である。そんなことになるくらいなら彼は幾度でも死を選ぶ。
実際に古代ギリシャでは、BC378年に結成されたテーバイの神聖隊「ヒエロス・ロコス」という部隊の様な、同性愛カップルの部隊が存在しました。
「ヒエロス・ロコス」は目覚ましい戦績を上げ、BC338年のカイロネイアの戦いにおいても、マケドニアのフィリッポス2世はその戦いぶりに敬意を表し、「カイロネイアのライオン」と呼ばれる記念碑を建てました。
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