立花 隆 著『臨死体験』を読んだ感想



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公開日:2021/10/23    

■本の情報 
<作者> 立花 隆
<発行日> 2000年3月 (文藝春秋)

■概要 ネタバレを含みます。緑文字は私の意見、補足になります。
<臨死体験とは>
臨死体験とは事故や病気などで死にかかった時に体験する不思議な現象のことである。三途の川を見たり、お花畑の中を歩いたり、魂が抜けだした、死んだ人に会ったなどの共通のパターンがみられるという。 また同様の体験は、必ずしも死にかかった時だけ発生するというものではなく、ヨガや過酷な修行中にも起こることがある。これらは脳内の酸素が不足したときに側頭葉が作用すると考えられている。 併せて脳内麻薬と言われるエンドルフィンも分泌されており、非常に気持ちの良い状態になるという。

臨死体験は、魂が存在して魂だけが別の世界に行くという現実体験であるという説と、弱り切った脳の中で起きている特異な幻覚とするという説がある。それぞれの説の要点は以下のとおり。

 

<重要なのは臨死体験の原理より、臨死体験そのもの>
現実体験説と脳内幻覚説どちらの説を支持していようと、臨死体験をした人は死への恐怖がなくなり、今をよりよく生きようという気持ちになるという。更に、これまで知的好奇心のなかった人が臨死体験をきっかけに本を読んだり大学に行くようになるなど知的好奇心の強い人になったり、あるいは感覚、知覚能力が拡大した場合もあるという。

死の恐怖が無くなるということに関して、実際に臨死体験を経験すると、そこには恐怖すべきものは何もなく、むしろ気持ちいいといったほうが良いくらいであるという。 そもそも死に対してどこに恐怖を感じるかというと、①自分の存在がこの世から消えてしまうことに対する恐怖、②死のプロセスに対する恐怖(苦痛)、③死後の世界で裁かれたり、永遠の苦痛を味わうかもしれないという恐怖などがあるが、 現実体験説支持者にとってはどの恐怖も消滅する。脳内幻覚説支持者にとっては①の恐怖は残ると思うかもしれないが、存在消滅によって恐れの感情を持つ自分すら消えてしまうのであるから、恐怖自体が無意味になるという。

かつて古代ギリシアのエピクロス学派は、「あなたが死を恐れているうちは、死はまだ来ていない。本当に死がやってきたときには、あなたはもういない。したがって、あなたと死が出会うことはない。死について悩み恐れるのは意味がない」という。 一見詭弁に思うかもしれないが、自己の存在とは脳の働きによって支えられた自我意識に他ならないと考えると、きわめて合理的な考えであるといえる。

■感想
臨死体験は現実体験か脳内の幻覚なのか、どちらの説を信じるかといえば、自分は筆者同様に脳内の幻覚であるほうが合理的であると思います。 しかし一方で、死後の世界や、輪廻転生などを信じたいという気持ちもあります。上記のように合理的に考えたら、自分の存在が消えることを考えること自体無意味なのかもしれませんが、それでもやはり自分の存在が消えてしまうのは恐ろしく感じます。 筆者と同じように、若いころはそう考えていて年を取るに従いそういう気持ちは薄れていくのでしょうか。

脳の仕組みは全くと言っていいほど明らかになっていないので、今後解明が進んでいけば良いなと思います。幽霊や超能力の存在も、脳のメカニズムによって説明できるのではないかと思っており、脳のどこかが作用すれば、テレパシーや、遠くのもの視覚情報以外でを見たりすることができるのではないでしょうか。 よく言われるのが、5感(視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚)に加えて、電磁波を感じる能力があるということです。電磁波を感じる能力はある動物には備わっていると言われています。例えば、渡り鳥が正しい方角を認識することができるのは、地磁気を感知しているためと言われています。




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