【感想】V.S.ラマチャンドラン 著 『脳のなかの幽霊』



読んだ本のこと

情報科学:00

ジャーナリズム:00

哲学:10

歴史:20

社会科学:30

自然科学:40

技術,工学:50

文学:90

公開日:2023/5/21    

■本の情報 
<作者> V.Sラマチャンドラン, サンドラ・ブレイクスリー, 山下篤子=訳
<発行日> 1999年7月 (中央公論社)

ネタバレを含みます。緑字が私の感想/コメントです。

■感想 

神の語りかけが聞こえる人、幻の腕を感じる人(幻肢)、視野の盲点の中に幻が見える人 (シャルル・ボネ症候群)、麻痺した自分の腕を他人の腕だと感じる人、笑い死にした人、肉親が偽物だと感じる人 (カプグラ症候群)。 これら現象を著者が初めて発見した訳ではないですが、著者の独創的な視点を持って、これら人達の脳のなかで何が起こっているかを実験論証的に理解する試みの書です。

(ちなみに著者はこれらの症状をもつ人は「気がふれて」いるわけではないので精神科に回すのは時間の無駄と述べていますが、精神病の人もどこかしら脳に異常がある筈なので、 気がふれている人とふれていない人の境界はどこにあると著者は考えているのか疑問に思いました)

特に著者は幻肢のメカニズムについて詳しく述べ、またその解決方法についても提唱しており、その手法は幻肢に対する世界初の手術であると述べております。

更に著者は、脳の分析こそが人間の本質の謎に迫ると考え、人間の本質的な特性である信仰心や哲学について迫る試みを行うようになります。 第12章はとても難解ですが、第12章こそが著者の最も述べたいことの一つであると感じました。

内容はとても面白く、著者のユーモア性が文章ににじみ出ており著者に対する好感が非常に持てますが、一方で全体的に専門用語や必要とする前提知識が多く、この分野の知識のない人が初めて読むには理解に時間がかかると思いました。脳の構造や働きなどについて、高校レベルの知識があるとより理解が深まると思います。

■要約 

<幻肢のメカニズムと対処法>
ペンフィールドの脳地図がメカニズムの手掛かりになる。脳地図で隣り合っている器官は刺激が連動しやすく、例えば足の裏を刺激したら生殖器の刺激を感じる人がいる。 手を失った人あるいは元から無い人は脳地図の再配置が行われ、手の感覚は脳地図の近い器官である顔に移っており、顔への刺激が手への刺激としても感じるようになる。 また幻肢痛は、地図の再配置の際に神経回路を痛みの回路にも接続してしまっているからであると思われる。

これらの解決方法として、鏡を立てた段ボール箱を目の前に置き、左手が無い場合は左手がある様に右手を鏡に映し、左手の動かす感覚と右手の動きを同期させる。 最初は動かすことができなかった幻肢が動くようになり、その後、幻肢の感覚自体がなくなり幻肢痛もなくなったという。 これで幻肢の感覚がより一層強まるなら理解できるが、幻肢自体が消えるというのは私は少し腑に落ちてない。

<霊的体験をする人>
側頭葉てんかんがある人は、神聖な存在を感じたり神と直接コミュニケーションしたと感じる等、感動的な霊的体験をする場合がある。 超越的体験の事実は、神の存在に対する反証ではなく、神の存在を支持する証拠にもなる。 そして選ばれた人たちだけが神の存在を知るのに必要な神経結合を持っている可能性も否定できないと述べている。 側頭葉の活性化による不思議な体験は立花 隆 著『臨死体験』にも述べられており、 こちらは神の存在の有無ではなく、死後の世界の有無についての考察である。側頭葉てんかんを持つ人だけではなく、死にかけた人も同じような体験をするという事について、 ラマチャンドラン氏の考えを知りたいと思いました。

<その他興味深かったこと>

・網膜に移る像が同じでも、認知の仕方で見えているものが大きく変わる。

・人間には正常な人でも視覚として認識できない部分あり、それを盲点という。あたかも見えている様に脳内で補間するため、普段その盲点に気が付きにくい。

・半側空間無視という、自分から見て片側の空間を無視してしまう症状がある (視覚としては認識できている)。 その人の認識している側の空間に鏡を置くと、認識していない空間が認識している側に出現するが、この時鏡と認識しているにもかかわらず、鏡に映っている領域を認識できず、 鏡の裏にモノがあると認識してしまう。これを鏡失認という。

・片腕の麻痺を認めない人のことを、疾病失認という。右半球に異常があり左側の麻痺をしている人に多い。耳に冷水を流すと一時的に回復する。

・肉親が偽物だと感じる事をカプグラ症候群という。これは認識に関する領域(視覚中枢)と、情緒に関する領域(偏桃体)の連絡がない事に起因していると推測。 愛する人の顔を見ても何の感情も感じないのは、それが他人だからに違いないと思うからである。なお、全く知らない人を知っている人と取り違えてしまう現象を、フレゴリの錯覚といいます。

・潜在的能力の不思議
なぜ数学が必要のないアボリジニなどの原住民に対して数学を教えたら理解できるようになるのか。 なぜ所有者の必要に先立って脳が進化したのか。道具が先にあってそれを様々なものに転用する例はその他にもたくさんあるが、アルフレッド・ラッセル・ウォレスはこれを神授の資質と考えている。 それは単に一般的知能から発展したと考える人もいるが、サヴァンの人を見るとそう捉えることが難しい。


<著者のスタンス、ポリシー>

・仮に会話できる豚を目の当たりにした時「たった一頭だけでは信じられない」とは誰も言わないが、神経学の分野ではこれと全く同じ態度をとる人が大勢いる。

・脳の分野はまだ統一理論を組み立てられる状況ではなく、実証的実験から脳の仕組みを理解する段階。

・揺籃期にある分野においては、実例を提示する実験が重要な役割を果たす。また「あれこれやってみる」やり方が戦略的に最良の研究方法ではないかと思っている。 これは非常にとても共感できる。仕事においても、何でも分かった気になって実例を確かめないのは、後で痛い目を見る羽目が多い。

・法則より例外に興味を持った。そしてその多くはダイヤモンドの原石である。

・自分は、進化する宇宙という永遠に展開するドラマの一部であると知れば、自らの命に限りがあるという事実の恐ろしさが軽減される。 もし人間をこの世界の特別な存在だとみなし、無比の高みから宇宙を検分していると考えるなら消滅は受け入れがたいが、避けられない死も悲劇ではなく、宇宙との喜ばしい再結合である。


<面白ばなし>
「具体的なものを置き違える誤謬」の例として以下笑い話がある。

ある男が博物館の恐竜をみて、館員の所に行きこう訪ねました。

男「あの恐竜の骨はどれくらい古いものなのですか」
館員「6000万3年です」
男「6000万3年ですって?どうしてそんな正確な年代が分かるのですか?」
館員「それはですね、3年前に私がここに就職したときに、この骨は6000万年前のものだと教わったんですよ」





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