【まとめ】 カモメのジョナサン - 完全版



読んだ本のこと

情報科学:00

ジャーナリズム:00

哲学:10

歴史:20

社会科学:30

自然科学:40

技術,工学:50

産業:60

文学:90

公開日:2025/12/6    

■本、著者の情報
<作者>リチャード・バック, 五木 寛之 創訳
<出版社>株式会社 新潮社
<発行月>2014年6月 (初めに出版されたのは1970年)

■あらすじ

主人公ジョナサン・リヴィングストンは、食べるためにしか飛ばない他のカモメと異なり、「飛ぶことそのもの」に喜びと意味を見出していた。 彼は低速飛行や急降下など危険な飛行技術を独自に追求し、食事も忘れるほど鍛錬に没頭する。 その異質な姿勢は群れから理解されず、評議会で「無責任」と断じられ追放されてしまう。 しかし彼は孤独の中でなお技術を追い続け、やがて光り輝く二羽のカモメに導かれ、より高次の世界へ至る。 そこには同じように飛行を探求する「目覚めたカモメ」たちがおり、ジョナサンは長老チャンから瞬間移動までを学び、精神的にも成長を遂げる。

高みへ至った彼は、自分がかつて属した群れに戻り、飛ぶことの自由と探究の精神を伝えようと弟子を育て始める。 しかし時が経つにつれジョナサンは姿を消し、彼の教えは若いカモメたちの間で神話化していく。 そして、ジョナサンの直々の弟子であるフレッチャーもこの世を去り、やがて教えの本質である「飛ぶ努力」は忘れられ、儀式だけが残る形骸化が進む。 やがて二百年もしないうちに、ジョナサンの教えのほぼ全てが、「聖なる言葉」であるという単純な宣言によって日常の営みから遠ざけられていった。 そんな風潮に疑念を抱く若者アンソニーは孤独に苦しみ、絶望の中で命を絶とうとした瞬間、彼の前に現れたのは、再び姿を見せたジョナサンであった。 そしてアンソニーはジョナサンから飛ぶことの楽しさを学ぶのであった。

■感想

飛ぶことは手段ではなく、飛ぶこと自体が目的である。という考えは、自分が本当にやりたいことを見つけ、それに没頭せよ、というメッセージであると解釈できる。 例えば、音楽をやるのは誰かにもてたいからではなく、音楽をやること自体が楽しいからという動機の方が崇高である、という価値観がよく語られる。 しかし私は「それ自体が楽しいから」という理由だけで行動すること、納得がいかない部分がある。

なぜなら、「好き/楽しい」という感情が最終目的であるとは限らないと考えているからだ。 好き/楽しいと思う気持ちは、もっと根源的な理由、知的好奇心が満たされる、自分の存在が肯定される、誰かの役に立てるといった、より深い欲求から生まれてくる結果ではないだろうか。 もしそうだとすれば「好きだからやる」という言葉は、あくまで上澄みにすぎず、本質的な動機は別のところに存在している。

むしろ「好き」を最終目的とみなす考え方には危うさがある。動物的な快楽の追求も、「好きだから」という理由で肯定されてしまいかねない。 人間が理性的な存在である以上、好きなことの中にも優劣は生まれうる。そしてその優劣は、しばしば他者を思いやるかどうか、つまり道徳性によって評価される。

誰かの笑顔が見たいから行動する。こうした動機は「不純」なのだろうか。私はそうは思わない。むしろ、自分という存在が他者と繋がることに価値を見出すのは、人間だからこそ辿り着けるより高い次元の目的である。 飛ぶこと自体を目的とするジョナサンの行動の先には、きっと他者と分かち合う歓びがあったはずだと考える。




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